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Message#2079 2005年12月19日(月)10時40分
From: 和井 恵
 
Re4:ようこそいらっしゃいませっ(*^-^*)
あべるさんのメッセージ(#2076)への返事

> 和井 恵さんのメッセージ(#2063)への返事
>
>> 「記憶」には二種類の作用があります。
>> 一つは物事を記憶する作用。
>> そして、もう一つは、その記憶したことを再生する・思い出す作用。
>> しかし、もう一つ別の「意味合い」があることをご存じでしょうか?
>> それは、「気づく(正しく知覚する)」ということです。
>> これは、「知識」をもとにして、ある「見解」を身につけ、
>> それを基礎(ベース)として「思索する(思いこむ)」ということではありません。
>> それら(知識)を必要としない、全く別の「修行方法」が存在するのです。
>
>これは和井さんがご修行の中で到達されたお考えなのでしょうか、どこかにこういった
>考え方が紹介されていますのでしょうか。

上座部仏教(テーラワーダ)が、この瞑想法を継承しています(笑)。

 → http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html

しかし、私は、この「上座部仏教」の源流である「部派仏教」の教義(アビダルマ)には、
幾つかの「根本的な問題点(欠陥)」があると考えています。
それは、以前のメールマガジンの中でも、少しだけお話ししていたと思いますが…

|>>代表的なものは「唯識思想」(笑)。
|>
|> しかしその「唯識思想」がかなりもてはやされてるよね。(笑)
|> 本屋に行くと、さも高尚なる仏教思想のように唯識の本が鎮座ましましてるよ。

|「すべては心の顕われ」という面では正しいけど、
|「縁起の法」と同じく、「本質」を捕らえ切れていない感じ。
|「すべては」の「すべて」の意味を、どこまで理解しているのか…

|>>余計な「教学」に「毒されていた(囚われていた)」部分もありそうだね。
|>
|> この場合の余計な「教学」とは、例えば?

|話の流れから分かるでしょ。
|「アビダルマ」のこと。
|すべての仏教の「基本(土台)」になっている、
|部派仏教の「教義」です。
|          ML000008  2005/02/15 05:29  Re: ボンちゃん より

一番最初に、釈迦の教えを「サーンキャ哲学」的な解釈をしてしまったのは、
オウムではなくて、実は「部派仏教(主に有部派)」だったと私は考えています。
「五蘊」を「実有」として捉えてしまったり(法・構成要素の実在・自性化)、
「縁起の法」を時系列的(業感縁起=カルマの法則?)に考えてしまったりと、
本来の「釈迦の教え」とはまったく違ったモノになってしまっています。

そして、その間違いを「修正し、本来の姿に戻す」ために登場したのが、
ナーガルジュナの「中論(空の思想)」であった…と。

>> 釈迦は修行中、いったい「誰の教え」を「記憶修習」していたのですか?
>> 彼は、「(観念や思いこみに囚われない)正しく(ありのままを)知覚する能力」を
>> 開発し、育て、確定させる「方法」によって「真理」を自ら見いだしたのです。
>
>う〜ん、これってお釈迦様クラスの修行段階でなければ到達できないレベルの話なので
>しょうか。

そんなことはありません。
自分にしか出来ないことを、釈迦は弟子達に教えたりはしていません。
「修行環境=出家と在家」の問題はありますが、
アベルさんでも出来ると思いますよ、私は。

>難しくって何かよくわからないのですが・・・。

それはね、あなたに「釈迦の体得した真理は、深淵で難しいはずだ」という
「思いこみ(固定観念)」があるからだと思います(笑)。
解ってしまったら、「なーんだ、そういうことだったのか」と、思うかも…
「真理」って、けっこう「単純」なものなのかもしれませんよ。

>素朴に考えると、それまでに学んだ色々な知識・思考方法等々をベースにして、
>それらの一部をパクって改良して、オリジナルな思想を創りあげたのでは??

そういうことをしている「宗教家」は、掃いて捨てるほどいるでしょうから、
まぁ、「一番解りやすい説明(考え方)」だとは思います。


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