| ミハウ・カレツキ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 移動: ナビゲーション, 検索 ミハウ・カレツキ(Michał Kalecki, 1899年6月22日 - 1970年4月18日)は、ポーランドの経済学者。マルクス経済学の立場からマクロ経済学の経済変動理論を発表して、左翼のケインズの異名を持つ。
ロシア治世下のウッジに紡績工場主の息子として生まれる。ワルシャワ理工科大学に入学するも、第一次世界大戦でポーランド軍に従軍。復員後はダンツィヒで工学を学ぶも、そこでカール・マルクスの再生産表式に興味を持ち大学を中退し経済統計に従事する。1930年に『景気循環理論について』を発表し、ケインズに先立って有効需要の原理を論証した。
1938年にイギリスに渡ってロンドン・スクール・オブ・エコノミクス、ケンブリッジ大学、オックスフォード大学で経済学・統計学の研究を続ける。戦後は国際連合に勤務するも、マッカーシズムの圧力から帰国を余儀なくされる。帰国して後はワルシャワ大学で教鞭を取りながら社会主義政権下に於いて経済計画の策定に関与、 イスラエル・メキシコ・インド・キューバで経済顧問を務めた。
有効需要の原理を基本とした投資の増加が利潤の増加につながるというカレツキの持論はケンブリッジ・マクロ分配論として世に受け入れられ、ニコラス・カルドアや森嶋通夫にも影響を与えた。
|