喫茶Honfleur掲示板 2007〜2009年

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Message#14952 2008年7月6日(日)11時08分
From: 和井 恵
変更
Re2:セガールさんへ
セガ〜ル@東京仕事wさんのメッセージ(#14947)への返事

> 正直、自分に甘えていますよね

おや、シンクロ二ティかしら…
「甘え」という共通ワードが同時に顕れていますね。

一つ、ここで肝心なお話をしましょう。

「解脱」「悟り」あるいは「真我に至る」とは、どういうことかというと、
それは一言で言えば「自立した存在になる」ということ。

「縁起」とは、自立することの出来ていない「相互依存」の世界のことを言います。
これを「一元」だなどと、肯定的に説明する人もいますが、
そのような考え方を最初から抱いてしまっていては、
「解脱」「悟り」などは、永久に訪れないでしょうね。

「滅尽定」というのは、あらゆる「繋がり(依存)」を捨ててしまうこと。
一切を「空っぽ」にしてしまったときに、はたしてどうなるのか?
どういう体験をするのかというと、
「私は、ただそこに存在するだけで、全てが満たされた、完全な存在だったんた!」
ということに気づくことなんです。
別に、呼吸が止まるとか、そんなことは大した問題ではない。

「私たちは、絶えず何か欠乏感(これが、つまり行なんです)を感じ、
何かをしなければいけない、と思ってしまっている。」

そして、欠けてしまっている、「不足している何か」を渇望して、
あちこちうろうろと探し回ることを辞めようとしない(一種の強迫観念ですよね)。

釈迦の教えの「基本」は、捨てる(空にする)こと、です。
「無所有」とは、要するにそういうことなんです。
依頼心の強い人は、依存心の強い人は、それが出来ずに、絶えず何かにしがみつこうとする。

全てを捨ててしまったとき、最初はもの凄い「恐怖心(不安感)」に襲われます。
しかし、これは、今までの「誤謬」「薫習」から来る「幻影」なんです。
それらに耐えて、しばらくすると、心がだんだん落ち着いてくる。

その時に、初めて「本当の自分」に出会うのです。
(実際には、対象物ではないから出会わないけど、表現的には、ね)

何に頼る必要もない、何をする必要もない「全てが満たされている存在」。

それが「本当の私」なのです。

釈迦の教えの、本当の「ゴール」はここなのです。
さびかるぱ何とかも、にるびかるば何とかも、はっきり言ってあまり関係在りません。

ここで初めて私たちは「本当の自立(他に依存する必要がない)」ができるのです。

そして、釈迦の教えは、実は「ここまで」なんですね。
だって、自立してしまったら、その後のことは「本人」が決めればいいことですから…


ん?余計なことを、またペラペラ喋りすぎてしまったような気も…

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