喫茶Honfleur掲示板 2007〜2009年

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Message#19992 2009年2月14日(土)08時47分
From: 和井 恵
変更
Re2: ●出家会員の住居(埼玉県吉川市)での立入検査について
夢野さんのメッセージ(#19970)への返事

>  それではコンピューターにたとえて無を0、有を1と置きます。
> この場合0は真我で1は非我ですね。

真我を、このように捉えてしまうのは誤りです。
何故、釈迦は「真の自己」というものを説明しようとしなかったのか?

それは、客観視して説明を始めたとたんに、本当の真我では無くなってしまうからです。

観察対象としての「名称と概念」にしか過ぎなくなってしまうのです。
そして、名色への囚われ(色貪と無色貪)を生起させてしまう。

  アートマン(Atman) は、ヴェーダの宗教で使われる用語で、
  意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。真我とも訳される。
  最も内側 (Inner most)を意味する サンスクリット語の Atma を語源としており、
  アートマンは個の中心にあり認識をするものである。
  それは、知るものと知られるものの二元性を越えているので、
  アートマン自身は認識の対象にはならないといわれる。

  初期のウパニシャッドである『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』では、
  「…でない」によってのみ、アートマンが定義されるという。
  その属性を「…である」と定義することはできないという。
  したがって、「…である」ものではない。
  すなわち、「何でもないもの」すなわち「何かではないもの」
  「有るものではないもの」がアートマンで、
  これは仏教または禅の「無」と同じ意味だととることもできる。

  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


【アートマン自身は認識の対象にはならないといわれる。】

この言葉の意味を、誰も本当に理解することができないのは、
いったい何故なんでしょうかね?

【「…でない」によってのみ、アートマンが定義されるという。】

釈迦は、この正統な方法に即して「五蘊無我(非我)」を説き、
真我そのものの説明については「無記(沈黙)」を貫いたのです。

真我を客体視(観察の対象化)して、あれこれと考えることは、
解脱や悟りを得るための「大きな障害」になるのです。

そして、少し付け加えるならば、

>両者のあいだを0でも1でもないってことでφ(空)と書ける

この時点で、0はすでに概念化されてしまって、
1と「相対の関係」になってしまっています。
0と1を「両者」と見なしてますよね。
つまり0は、二元(相対)を構成する「一要素」になってしまうのです。

そして、「0元と1元を包む」のが「空」なのではなく、
一元の本質が「空(相互依存・無自性・無常)」なのです。
あるいは、0元と1元と名付けた「二元世界」を、
包括するものが「空(一元)」ということになるのです。

>ちなみに無と有は0元と2元

いいえ、このように考えてしまったら、
「無と有のセット」で2元(相対)となってしまうのです。

ですから、表現とその意味合いを考えたとき、
「0に非ずのΦ」という表現は、真の意味での0となり、
「0である」という表現は、真の1(相対を包む一元)を意味してしまうのです。

【初期のウパニシャッドである『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』では、
 「…でない」によってのみ、アートマンが定義されるという。
 その属性を「…である」と定義することはできないという。】

概念化という言葉の罠を避けるためには、
「…ではない(否定)」もしくは、「…でないこともない(否定の否定)」
という表現を使うほかは、それを顕す表現方法が無くなってしまうのです。

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