喫茶Honfleur掲示板 2007〜2009年
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Message#21961 2009年5月22日(金)11時34分
From:
和井 恵
変更
アベルさんへ(私のMIXIの日記のコメントからの転載)。
補足説明をしておきます。
前回(一つ上)のコメントは、方便を使った一つの説明です。
そして、何故、このような説明を書いたのかと言えば、
チェ・出腹さんがされている質問のように、鳥を見て、
「 雨の日はどうするのか?鷲に食われたら苦痛だろうな」と、
そこから受ける印象を、否定的に捉えて観ることも、
それとは逆に(無理をして肯定的に考えてみようと)、
「 大空を飛べて楽しそうだな」と思っててみたとしても、
それらは共に「三悪趣」という世界観(観念)に囚われたままの
「見解」の域(表と裏の関係)を抜け出せていないからです。
人間は動物よりも上(ランクが高い)、という前提を基とした
「二者択一(肯定か否定のどちらか)」は、
どちらを選んだところで、あまり大した意味はない、と思うのです。
(特に、現代というTPOを考えた場合はね)
私は、某教団に出家をしていたときから、
動物のカルマ、云々や、三悪趣がどうのという話しには、
ほとんどまったく興味がありませんでした。
例えば、サッカーなどのスポーツをすると、
動物のカルマを造ることになるというような説明は、
理論的にも無理があり、破綻しています。
要素としては、むしろ闘争心や戦略を練るなどの、
別のカルマを造ることの方が強いでしょうからね。
しかし、このような「分析」に囚われること自体が、
解脱や悟りに至る道とは「真逆のベクトル」を
造ってしまっているのだと思います。
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これは、この場を借りたアベルさんへの私信なので、
前後の繋がりが他の人には解らないと思いますが、ご容赦のほどを。
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