喫茶Honfleur掲示板 2007〜2009年

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Message#26230 2009年8月30日(日)15時53分
From: 아벨(Abel)
変更
Re4:2ちゃん完璧スレから転載
ぼんち@SoftBankさんのメッセージ(#26229)への返事

> YASUさんのメッセージ(#26225)への返事
> > わたしは「真我」なんて存在しないと考えております。
> あなたが想定し、そんなもんはない、と考えておられる「真我」とは、
> どんなものであり、どのような性質のものなのか、きっちりしておかないと議論になりませんよ。

真我、無我説と非我説について、便所板で아벨が元芝さんに云々なんて投稿もあったよう
ですが、私は瞑想体験は超初歩だし、思索的な方向性は徹底的に不得意ですから元芝さんに
対しておこがましいことなんて絶対に言える立場ではありません。

個人的には、真我とは、我々の本体であるアーカッシクサーバー(単なるデータストレージ
でなくプログラムの本体も含むから鯖)、個我はホログラムやDNA的にシステム全体の要素
をも有しつつ関わっているネットワーク端末ののことだと思ってます。方便的理解だけかも
しれませんが。一言で言ってしまえば私は非我説だと思います。

今まで何度も引用しましたが、中村元先生のご高著と、それに関する昔の投稿を再掲します。
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中村元選集(決定版)第24巻 「ヨーガとサーンキャの思想」 春秋社1996

サーンキャ学派は、学界一般に常識として認められているところによると、ヨーガ学派と密接な関係があり姉妹学派と考えられている。サーンキャ学派が理論的考察を主とするのに対して、ヨーガ学派はむしろヨーガの実践修行に関する規定をくわしく述べている。両派の形而上学は大して異ならない。古典サーンキャ学派が無神論的であったのに対して、ヨーガ学派は有神論的であったというのが、特に大きな相違であろう、というのである。・・・教説の詳細・枝葉末節に関しては説明法の大きな相違も認められるので、やはり別の学派として考察する必要がある。
サーンキャ学派では・・・世界創造神とか主宰神とかいうようなものを想定しなかった。これがヨーガ学派の形而上学と最も異なる点である。
以前には、サーンキャ思想と仏教とのあいだに密接な連関を認めようとする学者もいたが、一般には承認されていない。

人間の感覚・知覚・思考・意欲などの諸作用は物質に属するのであって精神に属するのではない。純粋精神はだだそれらを照らして意識させるだけなのである。

なおサーンキャ哲学と呼ばれるもののうちには、神の存在をめぐって二種類あった。
(1)有神論的サーンキャ。これは古くからサーンキャヨーガと呼ばれるものであった。
(2)無神論的サーンキャ。

非我説的解脱観494p
仏教の説いた無我説、というよりはむしろ非我説は、後代には正統バラモン系統の思想に影響を及ぼすようになった。・・・アートマン(我)の哲学を説いた当時の哲人たちが、このように仏教の無我説を採り入れて、そこになんらの矛盾を感じなかったのである。したがって、仏教の修行者がアートマンの実現・愛護と、無我説とをともに説いていたとぢても、なんら不思議はないであろう。・・・
無我説の表現法はまたサーンキャ学派にも継承されている。「わたしは存在しない」「[なにものも]わたしのものではない」という清浄にして完全な知が純粋精神としてのプルシャに起こったときに、解脱が成就するという。・・・文面だけでは、仏教の場合と著しく類似しているが、仏教が全体としてのアートマンに関しては終始説明を拒否していたのに対し、サーンキャ哲学派はアートマンに相当するプルシャを独自の形而上学的原理として想定している点に、いちじるしい相違が存する。

それよりもサーンキャ哲学の影響の大きかったのは、ヒンドゥー教諸派の聖典である。・・・このように、ヒンドゥー教諸派の教義学諸体系を通してのみサーンキャ的思惟は一般民衆のものとなることができたのである。

ヨーガはサーンキャ思想以前からあるものであり、サーンキャ哲学よりもはるかに古い。サーンキャ説はむしろヨーガの観法にもとづいて考え出されたものである。
サーンキャ哲学は、仏教の興隆よりものちに形成されたと一般に考えられている。かつては西洋の学者のあいだでは、仏教はサーンキャ哲学のなかから発展して出てきたという見解が行われていたことがある。しかし今日では、この学説は捨てられてしまっている。
サーンキャ哲学の起源は、初期のウパニシャッドや「マハーバーラタ」の中にたどることができる
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以下以前の投稿から、、、Message#2670

オウムの「真我説」がサーンキャのそれであることは薙刀正師がご指摘になってましたし
M正大師も明言されてるわけですから、凄くよくわかる。

オウムを貶める口実を鵜の目鷹の目で探してる香具師の中には「アートマン肯定のオウム
は非仏教→値打ちがない」といった薄っぺらなことを今でも言ってるのが結構いますが、
全く哀れな脳味噌ですわ。薙刀正師が釈迦の思想に関して「無我」説の安易な決め付けでなく、
あくまで「無記」とご指摘されたのも流石に厳密と(僭越ながら)。

サーンキャの「プルシャ=アートマン」と仏教とは矛盾しないということは中村先生も
指摘されてるわけですし、先生は否定されてるものの仏教の起源がサーンキャにあると
いう説さえあったくらいなのですから、サーンキャヨーガ(有神論的サーンキャ)を根幹
として、それに仏教的な要素(ことにチベット密教的要素)を加味したオウムという存在は、
インド思想・仏教の流れの上からすると、一つのオリジナリティを有する新宗教として
非常に納得できるものであるということだけはいえると。事件前には多くの宗教学者が
オウムを評価していたことも頷けると。

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