2010年02月09日 サマナ嫌い わたしは一部の人を除きサマナ(出家修行者)という存在が ずっと嫌いでした。 その理由は挙げだしたらキリがないほどあります。 もちろんサマナに良い面もたくさんあるのですが、 わたしにはサマナの悪い面だけが、どうしてもクローズアップされてしまうのです。 尊師に言わせれば、サマナというのは、 「菩薩にいたる道を歩いている人たちであり、自分の欲望を捨て、 他の魂のために生きている人たち」 なのです。 仏典にもサマナというのは『向煩悩滅尽多学男女』と記されています。 つまり、煩悩滅尽に向かっている男女ということです。 大魔境に入り、リトーリート修行をさせられていたとき、尊師から、 「サマナを批判するんじゃない。サマナというのは他の魂のために 生きているんだから」 というメッセージが、心に入ってきたことがあります。 そのメッセージは深くわたしの心に残っていて、 ことあるごとに思い出しはするのですが、 『サマナが嫌い』という感情には、遺憾しがたいものがありました。 もちろん感情には強弱があります。 いつも嫌いと思っているわけではないし、中には尊敬に値するような すばらしいサマナもいますから。 でも、総じてわたしはサマナが嫌いでした。 ●スパイ容疑 今年に入ってからわたしはずっと、いつ頃からサマナがこんなに嫌いになったのだろうと思い、いろいろ考えていました。 そしてあることが見えてきたのです。 わたしのサマナ嫌いの始まりは、大魔境になったことと関連があると。 大魔境に入ったいきさつは既にこのブログに書きましたが、言われなき嫌疑をかけられたことです。あのときは胸がえぐられるほどのショック でした。 そして、わたしがどうしてもサマナというか教団を許すことができなかったのが、リトリート修行のあと、スパイ容疑をかけられてコンテナというところに監禁されたことです(もちろん当時のわたしの状態を考えればやむえないことだったとは思います)。 わたしは大魔境に入るまで、教団に対して疑いというのは微塵ももっていませんでした。世間がどうあろうがサマナだけは信じられる人たちだと思い、一生懸命道場活動をやってきたつもりでした。 その信じていた人たちから疑われたということは、心にものすごく深い傷ができてしまったのです。 わたしのサマナ嫌いは、たぶんそこが出発点だと思います。 わたしにスパイ容疑がかけられた理由は、わたしが導いた人の中に、ある団体のスパイだった人がおり、どうやらその関連で疑われたよう でした。 もしろんわたしはスパイ行為など一度もしたことはなく、外部の人間に教団の悪口など、ひと言も言ったことはありませんでした わたしはリトリート修行中、2回ほどあるイニシエーションを受けたのですが、1回目のイニシエーションの際、サマナのわたしに対する屈辱的な言動で、スパイの嫌疑がかけられていることを知りました。 そんなことからリトリート修行から出された後は、コンテナで監禁状態におかれたわけですが、コンテナには、他の教団や公安などの本物の スパイも相当監禁されていたことをサマナをやめてからから知りました。 また世俗に戻って数年後、瞑想中に、自分にスパイの過去世があることを知り、あの監禁はそのときのカルマなのだろうと思いました。 こうして、スパイ容疑で監禁されたという事実は、揺るぎのないこととしてわたしの心に深い傷を負わせることになっていったのです。 サマナ嫌いは、監禁されたときに一気に生じたというより、サマナを やめて俗世に戻ってから当時のことを振り返り、悔しさと情けなさで 思い出すたびにじわりじわりと深まっていったように思います。 サマナの些細な言動は、いちいちわたしのカンにさわり、 (サマナなんて、みんなくたばっちまえ!) とか、 (サマナのようになんか、絶対にならない!) などと、何度思ったかわかりません。 ●ほどかれる糸 しかし、先日、ふと思ったのです。 わたしが監禁されていた一番の理由は、スパイ容疑ではなかったのではないかと。 リトリート修行中、2回目のイニシエーションを受け深い瞑想から醒めたとき、わたしは見慣れない部屋の中にいました。 その部屋はけっこう広い部屋で、大きな祭壇があり、祭壇にはいろいろな仏具などが祭られていました。 瞑想から醒めたばかりで、ボーっとした状態だったので、あまり詳しくは覚えていないのですが、部屋に流れているバイブレーションは、崇高で非常に心地よく、 (ずっとここにいたい!) と思うほど、すばらしいエネルギーに満ちた部屋でした。 後で知ったのですが、その部屋はどうやら尊師の瞑想室だったよう です。 尊師の瞑想室を思い出しながら、当時のことをいろいろ考えてみました。 そしてふと思ったのです。 (はたしてスパイかもしれない、出家したばかりの新人サマナに、尊師の瞑想室を提供するだろうか・・・) と。 たぶん、大魔境に入っているわたしの中にある何かを浄化する必要があったからではないか・・・そんな考えに至りました。 (わたしが監禁された理由は、スパイ容疑なんかじゃない・・・) さまざまな考えが交錯する中、ある言葉が頭に浮かんできたのです。 それは、(自殺)でした。 わたしはあのとき出家しなかったならば、たぶん首を吊って死んでいた・・・。 リトリート修行中、尊師から、 「自殺はグルに対する背信行為なんだぞ」 というメッセージをいただき、ボロボロ涙をこぼしながら、尊師に謝ったわたしですが、わたしの自殺願望はそんなことで落ちるようなものではなかったのではないでしょうか・・・。 (監禁は、自殺しないよう見張るためだった) そう思ったとき、今まで心の中で、グチャグチャに絡み合っていた糸がすっきりとした一本の糸になったような気がしました。 (どうしてもっと早く、このことに気づかなかったのだろうか。そうすればこんなにも長い間苦しむことはなかったのに・・・) 結局のところ、わたしは己の無智さゆえに自分を苦しめていただけだったようです。 大魔境は、わたしにとって必要なプロセスだったのかもしれませんが、その影響は大きく、長い苦しみをもたらす結果となりました。 しかし、それらはわたしのカルマであり、修行をやっていなかったとしても、何らかの形でいずれは落とさなければならないこと。 修行をしながら、尊師の守護のもとで落としたほうがずっと楽なのは言うまでもありません。 もし、修行をやらずに、ダイレクトにカルマを落とした場合、下手すると廃人になったかも・・・。 (修行をやっていて良かった) 心からそう思いました。 修行というものは、続けてさえいれば必ず何らの結果を得ることができるものだなとつくづく思いました。 そして、結果の出る修行を与えてくださっているのが尊師であることは言うにおよびません。 わたしの長い長いサマナに対する引っかかりも、ようやく終焉を迎えるときがきたようです。 --------------------------------------------------------------------------------------------- 単に妄信まんせ〜ってことでなく、魔境の中で葛藤を克服された過程がリアリティをもって 書かれてあって、なかなか感激的でした。すごく説得力あります。 キャンディちゃんとえらい違いじゃ。 と言って太公望www |