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#31945 2010年2月16日(火)23時43分
From: さくら
Subject: Re3:友北さんブログより「幻想と、殿様と家臣の共振現象」
ぼんち@SoftBankさんのメッセージ(#31901)への返事

> 私からしてみれば、
> 「体験」が性的体験だろうが恋愛体験だろうが、
> はたまた神秘体験であろうが、
> 特にオウムに関わる人達の、体験の捉え方、感じ方は、
> 同列に並べても差し支えないような気がします。
> およそ体験と名のつくものについて、
> 同じような心の動かし方をしているんだもの。

そうなの?
まね、
「逢い見ての後の心に比ぶれば昔はものを思わざりけり 」
な〜んて歌があるくらいだから、恋愛でも世界観変わるのかもですね。

> ま、たいていは嬉しそうに報告をしていると。
> 地獄で惨殺される体験をしてさえ、
> 報告には嬉しさが見え隠れするありさまです。
> 嬉しさなんて条件次第で瞬時に消えてしまうし、
> 瞬時に消えなくとも一年と持続はしないものです。

嬉しくないことはないけど。
不思議の方が大きくない?

> 私が何について一番悩んでいるかというと、
> 嬉しさを求める心がなくならないことです。
> おかげで安心して生きていられない。

よく意味がわかりませんが、地獄で惨殺される体験が嬉しいから
それを掴んで離さないから、地獄に行きそうで怖いって思ってるってことですか?

> 一番何が欲しいか、と言われたら安心が欲しいです。
> 「あんしん」もだし、「あんじん」もです。

ご修行頑張ってください。

何ですっきりしないんだろう?
幻覚が見える人が他人から
「貴方が見たものは存在しない」って言われた時こんな感じなのかな〜。

「体験」の向こう側にある境地を否定された気がするからなのかしら?

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