和井 恵 さんのメッセージ(#31978)への返事 > 櫻京さんのブログ読んでますけど、一つだけ疑問があります。 いつもアクセスしてくれてる方が割といて、いつも驚いてました。ありがとうございます(TT) > 上記の方法が「一番早い方法」だというのには、ちょっと疑問があるのです。 > 「救済するぞ!」という心の働きは、そこに「される相手(まだされていない相手)」を > 造り出す働きを必ず持っているのです。 はい、僕もそのことはよく考えます。ピンと来ますよ〜☆多分…。 例えるならば、「リンゴを持ち上げる!」と意気込みながらも、左手はリンゴをガッチリ床に固定して「持ち上がってない状態」にしながら、右手はそれ以上の力でリンゴを持ち上げようとするような、ある種の自作自演のパワーゲームをバランスよく演じてしまっている、みたいな話、、、ですかね?? 本当は、その辺のことも詳細に綴っていきたいと思っていたのですが、まずは概観が先かなと思い、 「信仰」や「修行と宗教(4)」と題したブログで簡単に綴ったに留まっています。以下引用、長文失礼します…。 >つまり、「まだ衆生が済度され切っていない」という認識状態から、「衆生が済度され切った」という認識状態へと心を意図的に変化させることが、効率的な衆生済度の前進であると僕は思っています。 >そして、このような信仰を集中的に為す際は、「世界を知る」だとか、「慈悲や慈愛を抱く」だとか、「対外的に活動する」といったプロセスに対して、「そんなことをする必要はない、すでに全衆生は救済され尽くしている、二元的な一切が錯覚と不信仰そのものだ」といった態度を取るくらいの精神状態の方がいいかもしれないと僕は思います。 |