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#32158 2010年2月21日(日)23時48分
From: 和井 恵 
Subject: Re2: 櫻京さんの日記よりの転載。

YASUさんのメッセージ(#32140)への返事

> 「無明」と「明」、わたしは未だに分かりませんです。
> これが分かっていたら、成就者というか涅槃に入る者が続出しそうですけど。

そうなって来るでしょうね。
これらが明確になれば、解脱とは「何なのか」がはっきりと見えて来ますから…
それが何かも解らずに、そうなろうとしても、そんなのは無理でしょ?

> 教団では、「無明」=「非神秘力」となっていましたね。

これも、一つの捉え方としては、正しいと言えなくも無いんだけど、
果たして本当に「正しく」捉えていたのかどうかは、ちょっと疑問ですね…
(おそらく、神通力と関連づけて無明を捉えていたのだと思いますけど)

> ところで、
> http://blog.goo.ne.jp/waikei2008/e/9d3a42ef99696521488a182a893695fa
>
> 「渇愛」城にエネルギーならぬ食料などを供給していたのが、
> 「無明」という霧に絶えず包まれた大きな町だとか。
>
> 「霧」は分かりますが、「大きな」という例えは何でしょうか?

離解脱(明に至る)には、心解脱と慧解脱の二種類があります。

簡単に説明をすると、欲望(渇愛・妄執)からの離脱が「心解脱」です。
そして、識別(分別思考・比較類推思考など)からの離脱が「慧解脱」なのです。

そして、この欲望も識別も、それぞれ無明によって支えられて生起し続けています。
ですから、「無明」と呼ばれる領域とは、実はかなり広いものなのです。

欲望を支える無明とは、その欲望(欲求)を支えるモチベーションを生み出す、
「固定化してしまった認識パターン(観念)」が、そのほとんどです。
「それは楽しい」「それは好ましい」「それは俺のものだ(俺には必要だ)」…などなど。

それが、楽しくて、好ましくて、自分のものにできる、それが必要だ、と思っているから、
対象への欲求が止めどもなく溢れ出してしまい、そのまま暴走してしまうのです。

「一切皆苦」は、その「固定化した認識パターン(観念)」を直接破壊する、
とてもシンプルで強力な見解であり、観想法(イメージ・トレーニング法)なのです。
(破壊し終えたら、その見解は「筏(いかだ)」のように捨て去るのです)

心解脱は、四念処(五蘊無我)を実践して七覚支のプロセスを進むという方法、
つまり「四禅定の実践」が、釈尊の説いた修行では順を追った正規の方法なんですね。

これに対して「色界・無色界の瞑想」、つまり四大・四元素の瞑想と四無色定とが、
慧解脱(世界を形成する固定観念からの離脱)に至るための瞑想修行なんです。

世界を形成する固定観念 … これを一つの言葉で表現すると「想い」になります。
(釈尊は「小空経」で、想いからの解脱を説いているのです)

四大 … 色(物質)を構成する四つの基本的な観念

空無辺 … 空間という観念の心象(内的)世界
識無辺 … 時間という観念の心象(内的)世界
無所有処 … 「無」という観念の心象(内的)世界
非想非非想処 … 想い(観念)そのものが未分化の状態

外的な現象世界は、四大(元素)と空間と時間という「有」と、
その正反対の「無」という観念によって、私たちの心の中に「再構成」されているのです。

つまり観念(無明)にも「理的なもの」と「情的なもの」があって、

「理的なもの」は思考・分別作用に影響を与え、
「情的なもの」は情動作用に影響を与えているのです。

ですから、無明とは、色々な言葉(表現)に置き換えることが可能なのです。

固定観念・囚われ・反射作用(パターン認識)・定義・見解・蓄えられた盲目的な知識…

ですからこれは、その人の「世界観」と言い換えることも可能なのて、「大きな」と表現しているのです。

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