ヤッガレの生まれは、三州三河の國、額田郡藤川村大字蓑川字東屋敷17番地、 56軒?、58軒?の、農村である。!! 朝鮮の人、4軒を加えない。!! 物心つく4才から小学校五年の一学期迄に、 8人位の死人が出て、これらの弔いに出た記憶がある。 一軒の家で、死人が出ると村中上げて、死者を弔うのである。!! 湯灌と言って、たらいで、死人の身体を清めて、 死人の穴と言う穴を、脱脂綿でふさぐ。 寝間着を着せて、布団に寝かせてやる。 このとき、両手を合わせて、胸に置いてやる。!! 死人が女なら死に化粧をする。!! 掛け布団の上に、守り刀を置く。 男なら脇差し、女なら懐剣と言う具合である。!! ここで、お通夜である。!! お通夜が終わって、死人の身体を清めて、死に装束に、着替えてやる。!! この折、びた銭8枚を死者に持たせる。 これは、サンズの川の渡し賃と言われていた。!! 足には、草鞋を履かせる。 鼻をは白手拭いを割いて、藁の上から巻く。!! 草鞋を履かせるのは、賽の河原を素足で歩かせない。 と言う意味が含まれる。!! 葬式となる。!! 村人の家に、香典帳を持って、香典を婦人会の人が集めて廻る。!! 死者の家には、現在の岡崎市本宿のお寺さんが、 二人と村のお寺さんが来て、お経をあげる。 本宿のお寺さんが、一人先頭にたち、二人のお寺さんが、二番目、死人の家族が白木の位牌を持って、身内の人、 青年団が4人で、棺桶を担いで、その後に村の人が続いて、 村のお寺に棺桶を運び込み、 お寺さんがお経をあげる。!! 村人は、ほぼ全員参加する。!! これが死者との最後の別れとなる。 死者の家族が、棺桶におにぎりを二つ入れる。!! これは、極楽浄土にゆくまでに、お腹を空かせるからと言われている。!! お寺の敷地に焼き場があり、まき、藁床の上に棺桶を置き、 お寺さんが、お経をあげる中、青年団が藁に火を付けて、 お経が終わると、その場に青年団4人のみを、残してそれぞれ、挨拶を交わして家路につく。 翌日、死人の家族と死者と親しい人が、焼き場に行き、 骨を拾って、持って帰る。!! 初七日までに、戒名がつき、14日、21日、48日とお寺さんが、お経をあげにくる。!! ちなみに、浄土宗の場合は、 釈浄○、○の部分に名前の一字が入ったと記憶している。!! 女の場合は、 釈尼妙信、しやくにみょうしん、と言うような戒名だと思う。!! 土地、土地によって、宗派によって、死者の弔い方は、種々あると思うが、 ヤッガレの田舎の弔いを書き込みました。!! |