さくらさんのメッセージ(#32539)への返事 > お経を唱えたら本人「死んだら灰になる」ってのの助けになると思ったんだけど。 > さくらが唱える分には余計なお金掛からないし〜。 あのね、お経とはどげなもんか、ということに関しては、 ある程度オウムの解説も正しいんですよ。 つまり、意味もわからないまま読んでも、 超常現象的にご利益がある、という効果を信じることは、 大乗仏教になってからのもんですからな。 いわゆるマントラヨーガ的効果の期待というかな。 だけど実際はどうか、といえばオウムの解説が正しい。 「読んで、考え、実践する」そのためのツールでしょ。 「死んだら灰になる」ためには、悟る必要があります。 だとすると、思索と実践の伴わない読経は、 何の役にも立たない、ということになるでしょう? ところが、大乗仏教になると、仏教が哲学やカウンセリングではなく、 超常現象を信じる集団、まさに宗教集団になってしまったと。 こうなるとポイントは「信じる」か「信じない」かになります。 悟るための仏教が、いつの間にか信仰する宗教になってしまったわけです。 で、葬式にしろ読経にしろ、 三力(自分の功徳力、如来の加持力、法界の力)によって 死者の魂という形のないものを、これまた位置の特定できない浄土へ送る、 という儀式なわけだから、ベースは大乗仏教、つまり 信仰型の思考形態から発達したもの、ということになります。 つまり、葬式を、読経を、 宗教的に信仰する気のない人間にいくら読んでも、 役に立つわけがないのですよ。 では、なぜ死者にだったら役立ち得るのか、といえば、 死者は既に死んでいて、死後単なる土くれになってしまっているのか、 それとも霊魂を持つか、その解答を得てしまっているわけです。 で、霊魂を持った、という結論に至った、ということにして、 その霊魂をどう処理するか、そこが葬式なんですよね。 > なくなる当事者が信じてありがたがらないと意味ないんですか〜? 生前に、ということであれば、 まあ別にありがたがらなくてもいいけど、 書いてある内容を吟味した上で、 それに対して信頼してくれなければ、あまり意味はないです。 ちなみにね、葬式でも読経しますけど、 読経の部分は焼香のためのBGMというくらいの意味しか、 実はありません。 まあ、オマケですな。 では葬式で最低やらねばならんのは何かというと、 導師の弟子として出家させてあの世に送り出す作法、 これを引導作法といいますが、メインはそこで、 葬式としては読経なんて、やってもやらなくてもいいんです。 ただし、この間の葬式みたいに、通夜をやってない葬式の場合、 通夜でやる作法もセットで通しましたから、 通夜では読経すべきなので、その分の読経、ということもできます。 |