白龍さんのメッセージ(#34005)への返事 お久しぶりです。 私からもちょっと見解を。 > 最近なんですが、夢の中で蓮華座組んで、 > 大乗の発願やマントラを唱えている夢を見ました。 > お〜っ!て感じだったんですけど、こういうのって単なる過去のトラウマなんですかね?自分的には、最近精神的にゆとりができて、ヨガの良い部分は有効活用したいななんて意識もありますが、こういうのって危ないのですかね?元芝さんなどどう思いますか? > 最近お見えになっていないようですが・・。もしご覧になっていたらご意見聞かせてください。 あのですね、セックス経験のないガキンチョでさえ、 思春期になったら夢精するわけですが、 たいていその時にはセックスをする夢を見ますよね? 経験のない人間でさえ夢を見るのです。 大乗の発願にしろ、帰依マントラなどにしても、 白龍さんは経験あるわけですわな? しかも普通の信徒なら、万単位の経験回数があるわけです。 だとしたら、夢にくらい見て当然というか、 単に記憶が夢になっただけであって、 坐禅中の雑念とまったく同次元のものと思って良いと思います。 むしろ「私の中に一体何が・・」などと思い悩むと、 意識がそこでストップして、こだわり続けてしまいます。 実際に、大乗の発願や苦の詞章などは、 内容そのものは、大乗仏教の見地からいえば有益ですし、 帰依マントラにしても、内容そのものには大した問題がありません。 例示しましょう。(細かい口伝の違いは無視すること。) オウム アー フーム ヴァジラ ナマ シヴァヤ ヴァジラ ナマ グルヤ ヴァジラ ナマ サティアンヤ ヴァジラ ナマ 十戒ヤ この中で、言葉そのものに問題がある、という部分はありません。 オウムの指導の方向性で問題があるのが、 シヴァ、及びグルです。 しかし、ヒンドゥ次元のシヴァと解釈し直せば別に問題はないし、 グルというのも、法を説いたすべての方々、と思えばこれも問題はない。 つまり、特定個人に限定しなければ、別に危なくも何ともないのですよ。 サティアンというのも、宇宙の仕組み、くらいに思っておけば、 それは禅の境地とそう変わりはないし、 色んな危険から身を守るには、十戒は確かに有効です。 このように、言葉というものは所詮言葉でしかなく、 とらわれた者が負け、なのです。 ですから、気にせずに今日を生き、明日を生き、 「死ぬまで生きていれば」それで良いと私は考えます。 オウムにいた者が、オウム否定論者になる必要もないです。 どうでもええわ〜、と思えたら、それが一番です。 |