喫茶Honfleur掲示板2005, 2006年

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Message#1297 2005年9月26日(月)19時43分
From: 聖者ぼんちリンポチェ
Re3:●●君と座布団師補の結婚を断乎支持するぞ!
あべるさんのメッセージ(#1294)への返事

> 教義の取捨選択って言う意味では大いに違いがあるのではないかと思うのですが。

取捨選択、というのなら根幹において違わないことを意味していると思います。
それから、ヴァジラヤーナについて「今説くべき法則ではなかった」
と規定するならば、それは裏を返せば「いつか説くべき時期が来る」ということ、
つまり、「法則そのものに正当性はある」と認めていることです。
私が言いたいのは表面的な、あるいは当座(数生)における取捨選択というのは、
ヴァジラヤーナについて「あれは間違っている」「あんな法則、宇宙にはない」
と断定していない以上、根本的な意識には何の違いもない、
というレベルの話をしているのですよ。

つまり、例えばこういう事例と何の違いもないということです。
まだ小乗のツァンダリーを伝授されていない人がヴァヤヴィヤをする場合、
「今は本に載ってるヴァヤヴィヤをしましょうね。」と言われると。
伝授された人にとっては、その人がヴァヤヴィヤを行ずる場合、
それは小乗のツァンダリーバージョン、つまり観想付きのヴァヤヴィヤなのです。

> 「グル」の解釈については天と地くらいの違いがあるのではないでしょうか。肉体のグル、
> 人間麻原ってグルに執着せず、より根源的な、全ての魂に普遍的に内在する仏性をグルの
> 本質と考えるっていった感じの抽象的な解釈のような感じでは??

尊師の説法を文字通り読むなら、初めからその抽象的な解釈の方が
尊師の意図通りであることが理解できるでしょうね。
ところがどっこい、日本人の「観念」というフィルターを通すと、
「グルと弟子」の関係を、「親分と子分」の関係に置き換えて考えてしまう、
そんな傾向が見受けられるように思います。
日本独特のヤクザの関係というのは、前提に霊魂不滅の考えがちらつくのですよ。
つまり、親と子は、死んでもなお、親と子なのです。
そしてその二人が同一性なんてことは金輪際なく、
基本的にその上下関係は変わる事がない・・・と考えるか、
逆に霊魂も糞も、単なる唯物論で、死んだら終わり。
でもたった1回の今生において、親と子の関係は神聖不可侵。

このどちらかの感覚をもって、すべきことを考えた場合
どういう結論に達するかというと、
「親分のためならなんでもする、死ぬことも厭わない。自分の命など大切でない。」
こういったヤクザ的な、「情」の関係に陥ってしまうのです。
まずはこの誤りを、「反代表派」の多くの人がやらかしてるんじゃないでしょうか。

私としては、この謬見解を持ったまま「本家・オウム真理教」など
やってほしくないですね。
もちろん、その方が断然オウマーにとって面白おかしいことにはなるでしょうが、
それは単に、公安に都合のよい、最終的に壊滅させられる無駄な団体を
ひとつ作ってしまうだけだと思うのです。
できればこの謬見解はクリアした上で、
なおかつ「今生におけるグル」を尊師と規定した団体を作っていただきたい、
そう思うのです。この方が、脱落者も少ないと思います。

> 信仰の大本が肉体のグルなのか否かという点は極めて重大な部分では?

そんなわけで、真に重大なのは「肉体のグルなのか否か」というより、
「肉体のグルも含めてよいのかどうか」ということであると感じています。

> > うん、「中道」と同じ危険性を有していますね。
> 煩悩的データが著しく過剰に入ってる我々としては、自分では「中道」だと思っていても
> 随分左道に偏ってしまうという意味ですか?

左道くらいならともかく、左斜道くらいかもしれませんな。(笑)
お釈迦様を連れてきて、現代のごく中間帯の生活をさせてみたら、
きっと「こんな安楽で怠惰な生活で修行できるか」というでしょうよ。
もちろん、タントリストとして生きるならこれでもいいですけど、
いわゆる、小乗を貫こうとするならさっさとホームレスにでもなるべきです。
それくらい現代生活は左に傾いていると思います。


> 現世利益を求める拝み祈祷だけで満足するような信仰では駄目だという意味です。

なるほど、結局仏教などと同じですな。
 
>  わかるよふむねのうちよりしやんせよ
>  人たすけたらわがみたすかる       (おふでさき三・47)
>
> 「人たすけたらわが身たすかる」これが天理教信仰の根幹です。「たすける」「たすかる」
> という内容については非常に深遠かつ広範な考察が成り立ちますが、一つの重要なキーワード
> は「たんのう」。あきらめのようでもあきらめでないベンベン、我慢のようでも我慢で
> ないベンベンって感じで、人間創造における「をやの思い」を根底として、死をも含め
> て全てを積極的な意味で喜べる心境ってところでしょうか?

あの、どうもおふでさきなどに触れて思うのですけど、
表現方法が素朴というか、・・・まあ悪く言えば、
使用語句が幼稚というか、古くさすぎというか・・。
結局、表現方法が今という時代から考えると、洗練されてなさすぎなんですな。
「たすけ」なんて言い方、現代の書物ではよほど間抜けなものでなければ、
まず見かけない表現ですわね。
おそらく今なら「救済」とか「済度」という言葉を当てると思います。
結局、識字率も低かった頃に、下層民でもわかる文字や語句の使用法で、
しかもほとんど話し言葉で書かれているのが、
現代人にとっては芋臭いものに感じられるのでしょう。
唯一芋臭くない要素といえば、調子よく書かれていて、
短歌みたいな形式を感じさせる点くらいでしょうか。

ちなみに、おふでさきを書いた人物というのは、
知識階級ではない人ですっけ?

> 三人目OKになられたら、「あいつ」の第一候補としてよろしく。m(_ _)m

了解っす。

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