喫茶Honfleur掲示板2005, 2006年
タイトル
画像
Message#
から前
200
100
50
10
件を
97
98
99
00
01
02
03
04
05
06
07
08
09
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
年
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
月
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
日から
1日分
2日分
3日分
4日分
5日分
7日分
10日分
前を
最新20件
最新50件
最新100件
最新200件
200件以前
昨日以降
(0)
2日前以降
(0)
3日前以降
(0)
4日前以降
(0)
5日前以降
(0)
画像
サーチ
セットアップ
Message#3203 2006年3月19日(日)19時44分
From:
和井 恵
Re4:中間投稿その3。
聖者ぼんちリンポチェさんのメッセージ(
#3200
)への返事
> ・・・というところで、この「●●のカルマが落ちて良かった」
> という思考方法なんですけど、
> 「落ちて良かった」と「自己責任である」という二つの思考パターンは、
> 同じようでいて少しニュアンスが違いますよね?
> 「落ちて良かった」は明らかに「喜覚支」が含まれていると。
> でも「自己責任である」はかなり淡白な捉え方になりますよね?
> この二つには、メリット、デメリットのような、何か結果に差はあるんでしょうか?
「自己責任」は、「他から受ける苦しみ」に対して「怒りや嫌悪が生起する」ことを
「抑制する効果」がありますが、それに対して「落ちて良かった」方は、「受けた苦しみ
(アンラッキー)」や「生じた怒り」を「喜び(ラッキー)」に「変化(転換)させる効果」
があるのです。
「自己責任」の持つ副作用は、これを「盲信(万能薬化)」して「自分以外」のケース(事例)に
応用してしまう危険性(誤用する恐れ)があるということ。
これはあくまでも「自己使用のみに限定」しなければなりません。
他の人に生じた苦しみを「他者責任(それはお前の責任だ)」と言って「決めつけ(押しつけ)」
てしまうのは「無知」によるものです。この「考え方」に囚われ過ぎると、「ありのままにモノを
観る力」は永久に身に付かないでしょう。
「法は捨て去るべきモノ(筏の喩え)」なのです。
「落ちて良かった」の持つ副作用は、「苦しみを受ければ必ず因は消滅する」はずだ、と勘違いして
しまうこと。この「受け取り方」は、「一時的な苦しみ(ケガをするとか)」に対しては有効なので
すが(理由は、時間が経てば苦しみそのものは自然と消えるから)、「継続する(慢性的な)苦しみ」
に対しては、ほとんど効果はありません。むしろ「有害」なのです。
例えば、「強迫観念」や「トラウマ」からくる「心身症」などの「苦しみ」に対しては、その「本源となる
因」を「証知(受知)」する意外に「苦の滅尽」は有り得ません。
ですから、このような人たちに「落ちて良かった」ことを「無理強い」することは「さらに新しい苦しみ」
を生み出しかねないのです。
> 私が思うに、「自己責任である」と考えるタイプの人って、
> 何も訊かれなければ「自己責任だ」とも言わず、
> 相談でもされたならそう言うかもしれませんが、
> 「落ちて良かった」という人は、喜びを与えるつもりで
> 「落ちて良かった」の飛び込みセールスをやらかしそうに感じるんですがね。
そうかも知んないね(笑)。
「カルマの法則」って、「日本人好み」のような気がします。
「勧善懲悪的」で、「倫理観(悪いことをしてはいけないんだよ)」を守らなければいけない「理由」を
説明するのに、とても「適した教え」だと思うのです。
喩えて言えば、「水戸黄門さまの印籠」に似ているような気が…
アーレフの「大宇宙の法則」という「表現」に対して、「お天道様はちゃんと観ているんだぞ!」という
「雰囲気(ニュアンス)」を感じてしまうのは、私だけかしら?
最新20件
最新50件
最新100件
最新200件
200件以前
昨日以降
2日前以降
3日前以降
4日前以降
5日前以降
nerimb5.cgi Ver. 5.043
Copyright(C) 1997-2008,
hidekik.com
当掲示板の内容は全て冗談です。冗談を解する方のみ閲覧してください。