喫茶Honfleur掲示板2005, 2006年
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Message#3356 2006年4月9日(日)23時54分
From:
ヨッシー
覚醒?
> あ、これなら私の定義する「一端」には確実に抵触していますね。
> じゃあ「正統な部分もあるカルト」になるでしょうな。
加行(準備行)レベルなのに、正当な部分もあるというのでしょうか?
> 後は伝え方、教え方、実践の仕方等々における細かな不備がある、
> という程度になるかと。
加行レベルですから、細かな不備というのは無理があるでしょう?
> ただ、こんな重箱の隅をつついても仕方ないわけですがね。(笑)
法脈は重箱の隅ではないでしょう?
> というのは、体系的な伝授でなくても覚醒に到るケースはあるわけで、
> 「伝統の継承」を主眼にするのでなければ体系的な伝授には
> あまりこだわらないんじゃないでしょうか。
麻原が覚醒していたら、チベット仏教と同じ体系になっているのでは?
> 実際こだわるのであれば体系的な伝授を受ける用意は、
> 尊師サイドにはできたんじゃないかと思いますよ。
グルと弟子はそういうものではないでしょう?
そもそも本当に覚醒していたらチベット僧からイニシエーションを受けなくてもよいのでは?(笑)
確かにインドやネパールあたりには、莫大な布施をして教えを買おうとする外国人もいるらしいが、たとえ麻原教祖が莫大な布施をしたとしても、カール・リンポチェならずとも伝統的なラマはそう簡単には教えてくれるものではないし、教えられるものでもない。師が弟子を引き受けるということは、その弟子に正法を授けるまで続く深く長い関係なのだ。
(林久義「仏教を語る教祖が迷えるブッダをかどわかす」より)
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