喫茶Honfleur掲示板2005, 2006年
タイトル
画像
Message#
から前
200
100
50
10
件を
97
98
99
00
01
02
03
04
05
06
07
08
09
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
年
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
月
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
日から
1日分
2日分
3日分
4日分
5日分
7日分
10日分
前を
最新20件
最新50件
最新100件
最新200件
200件以前
昨日以降
(0)
2日前以降
(0)
3日前以降
(0)
4日前以降
(0)
5日前以降
(0)
画像
サーチ
セットアップ
Message#4586 2006年7月26日(水)10時04分
From:
和井 恵
Re22:昨日は
最古参さんのメッセージ(
#4584
)への返事
> > だから、その人が持っている「過度な思いこみ(観念や囚われ)」さえ除去できれば、
> > 釈迦が生きていた時代のような「スピーディな悟りの成就」は、
> > 意外と簡単なんじゃないかな…と思ってるんだけど(考えが甘いかしら)。
>
> 僕も優れたサンスカーラを持ってる訳ではないし、
> そういう成就を目にしてないのでそこら辺はまだ分りません。
そだね^^;
> あれはやはり特別な例なんじゃないかなぁ。
> 当時の修行者は宿命通なんかは当たり前の能力として持ってて、
> それで過去世を見て、カルマの実存性は疑うべくもなかったらしいし、
> 「元サンジャヤの弟子達」の多くはやはり優れたサンスカーラを持ってたんだと思う。
しかしね、サンジャヤは「懐疑論者」とも呼ばれていて、
ある意味「何も信じない(囚われない)」ことを弟子達に説いていたんだけど…
サンジャヤ(Sanjaya Belatthiputta)は
「来世が存在するか?」という質問を受けたときに、次のように答えた。
『もしもわたくしが「あの世は存在する」と考えたのであるならば、
「あの世は存在する」とあなたに答えるであろう。
しかしわたくしはそうだとは考えない。そうらしいとも考えない。
それとは異なるとも考えない。そうではないとも考えない。
そうではないのではないとも考えないと』と。
その他、「善悪業の果報は存在するかどうか?」などというような
形而上学的問題に関しても、かれは同様に
ことさら意味の把捉され得ないあいまいな答弁をして、
確定的な返答を与えなかったという。
(中村元、『インド思想史』、45〜46頁)
最新20件
最新50件
最新100件
最新200件
200件以前
昨日以降
2日前以降
3日前以降
4日前以降
5日前以降
nerimb5.cgi Ver. 5.043
Copyright(C) 1997-2008,
hidekik.com
当掲示板の内容は全て冗談です。冗談を解する方のみ閲覧してください。