| 和井 恵さんのメッセージ(#20030)への返事
> 何処かに「(認識の対象として)在る」という意味ですよね。 > 何処かを探せば見つけることが出来るモノだ…とね。 > そう言う意味では、真我(自分そのもの)は、 > 「認識の対象外」なので、見つけることは出来ません。 > 目は、目そのものを見ることは出来ない。 > 刀は、刀自身を切ることは出来ない。
一寸ずれるのかもしれませんが、これに似た感じの天理教の教祖様のお言葉。 「親神天理王命に姿はあるか?」、 という質問に対して
「あるといえばある、無いといえば無い、願う心の誠に見えてくる利益が神の姿やで」
と仰ったとか。
> 彼の教え(真我に関する部分)は、仏教ではなくて、 > 「サーンキャ哲学」という、インド思想をアレンジして真似たものなのです。
これは上祐さんも説法の中で明瞭に断言されました。オウムの教義の根幹はサーンキャで あると。滅多に行かないけど、このときは直接聞いてましたから断言w
サーンキャというと、有神論的サーンキャ(サーンキャヨーガ)が原始仏教と密接に関係 するという解釈すら過去の仏教学において存在した、という中村元先生のご著書を引用した こともありましたっけ。
> 彼は、元々ヨガ行者でしょ? > ヨガの根本経典を頼りに修行をしたと言っていましたよね。 > それが途中から、仏教を取り入れて、 > 自己流にアレンジして教えを説き始めるようになった…
サーンキャの思想に仏教的な要素を加味して作りあげたオリジナルな新宗教なわけですから 何の不思議も無いと。それを「仏教」だから値打ちがあるとか「法脈」が無いから値打ちが 無いとか、アホな屁理屈になるからおかしいと。まあ金をボッタクりすぎたとか人殺しした とかいうのは悪いわけですが、Aを貶めるためのネタを鵜の目鷹の目で探し回ってる香具師 が、何かAを悪く言うネタが無いかと探し回った挙句に「法脈が無い」だって。アホか。 お釈迦様がどんな法脈持ってるから偉いのか? 法脈くらい아벨ですらダライラマ十四世 テンジンギャッツオ猊下から伝法灌頂相当の法脈を頂いてると。 麻原さんより偉いとでもwww
> 瞑想の怖いところは、「見たいモノが見えてしまう」、 > 「体験したいことを体験できてしまう」ということなんです。 > 瞑想の対象となる「心象世界」を造り上げているのは、自分の心なのですから…
魔境でもええからそんな体験してみたぁ〜〜〜いっすw
> 釈迦の言行録(アーガマ)を読んでみると、 > 彼の教えていた瞑想は、何かを「観る(体験する)」という瞑想ではなくて、 > 観た後で、それらの対象を一つ一つ消してゆく(そこから離脱する)瞑想を指導しています。
アーガマといえども釈迦入滅後ずいぶんたってからの成立ですよね。やはり元桐山さんの お弟子筋と・・・
> 太陽が見えていると、その光に遮断されて他のモノが見えずに太陽しか見えません。 > しかし、その太陽を消すと、今度はそれまで見えなかった月が見えるようになります。 > そしてさらに月を消すと、こんどは星がはきりと見えるようになる…
わかりやすい比喩 > 四禅定から四無色定へそのまま移行することは出来ません。 > 四禅定の第四段階の次の段階で、「空無辺処」が顕れて来るわけでは無いのです。 > 四無色定の「空無辺処」へと移行するためには、 > 「四大(地・水・火・風)の瞑想」から入る必要があるのです。 > 地 → 水 → 火 → 風 そして、→ 空 なのです。 > (これらの4つの「元素」には、それぞれ特有の「色」があるとされているのです。)
私には難しくってわからないのですが、これは和井さんの瞑想体験からのお話みたいですね >キャンディちゃん
非常にわかりやすくレベルの高いご投稿を沢山頂戴できましたので、このまま流れてしま っては非常に勿体無いと思います。 和井さんのブログにもご転載賜わってるようですが、 和井さんのご投稿だけをまとめたページを作って上のリンク集に加えました。
リンク集三段目の「和井」というところをクリックするとそのページにいけます。 Kaivalyaさんの掲示板のやり方の真似です。 http://honfleur.sakura.ne.jp/bbs/bbs3/nerimb3.cgi?mode=print&message=20050,20049,20048,20047,20030,20011,20008,20006,20005,19992
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