喫茶Honfleur掲示板 2007〜2009年
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Message#13438 2008年5月6日(火)04時40分
From:
聖者ぼんちリンポチェ
変更
Re6:あべるさんへ
아벨(Abel)さんのメッセージ(
#13435
)への返事
> え?? それは後期高齢者医療制度の厚生労働省で、医者が高齢患者に「氏ね」と言ったら
> 2000円だったかくれるって話ではwww
ははは、そっちの方が、良いかどうかはともかく、
面白そうじゃん!wwww
どうせなら宣告したら1人につき2万円の支援料を医者に下賜するが、
その宣告を拒否した場合、患者及びその家族が支援料を肩代わりする、
という制度にした方が尚更面白いかと。
ついでに拒否ったら200万円の罰金ってのも面白いかも。
> 人間ってどうせ死ぬわけなのに、単なる生物学的自然現象で天寿を全うして死んだときに
> 悲しむという感情が生起するとするなら、それはその感情の方がおかしいのでは?
この間、従弟が死んだ時、私は全く悲しみませんでしたな。
ポイントは2つ。
まず、私は従弟とは日常生活の関わりが全くないため、
愛着があるわけではないから、「愛別離苦」がない。
そして、私は死ぬことについて、ある一定の宗教的見解を持っているため、
死ぬ、という現象そのものについて、悲しいことと認識していない。
通常の人間の場合、2点目が解決されていないため、
特に愛着があるわけでもない人間の死にさえ悲しみを覚える傾向があると。
私がもし、誰かの死を嘆いていたら、
何らかの意味で1点目の愛別離苦がある、ということです。
それは愛情かもしれないし、尊敬かもしれないし、
はたまた物理的に不都合なのかもしれないし。
また、菩薩としての見解からいえば、
近親の遺族の精神とシンクロさせて悲しむ、という実践もあるかとは思いますが、
今回の従弟の場合、少し違う角度の理由からそれもなかったです。
というのは、伯父夫婦と私の親父との間にしこりがあるため、
このしこりを多少なりとも解消する契機とはなっていたからです。
その意味で、私は闘病中に、護摩修行の参加において、
一応「当病平癒」という建前にはしていましたけれど、
その実、「治りますように、死にませんように」と願ったことは一度もなく、
「関係者すべてのために一番良い結果がもたらされますように」と、
自分が従弟本人である、と観想して祈願しました。
その結果、確かに従弟が死に、それが契機となって
両者のしこりや溝が少し解消される方向に動いたと。
私がこういう方針をとったのには理由があって、
病気そのものが奇跡でも起きなければ助からない性質の癌であったこと。
前にも書いたように、10万人に1人だったかの確率で起こる、
遺伝子の組み合わせによる、ほとんど事故といってもいいような癌だったと。
ならば起きにくい奇跡を祈って失敗するよりも、
そんな結果は自然に任せて、その結果が本人にとって、
最も功徳を積むことのできるものであること、を選択したわけです。
まあ、これも一種の追善であり、ポワであるともいえるでしょう。
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