喫茶Honfleur掲示板 2007〜2009年
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Message#20049 2009年2月16日(月)11時36分
From:
和井 恵
変更
Re4:真我
キャンディさんのメッセージ(
#20034
)への返事
> YASUさんのメッセージ(
#20033
)への返事
>
> >> 「真我なんて無い!」とわたしは思います。
> > 修行者でも、自分自身を消滅させるのに恐怖心を感ずる人は多いかもしれません。
> >
>
> 消えてなくなりたい、と思うことがよくあります
> また、何かの原因体みたいのが残っていて、生まれかわるのでは?と
> 思うと、がんばって今生のうちに(再生の因)を滅ぼし尽くして
> 二度と娑婆に現れなくなりたいです
それは、「負の生存渇愛(自己嫌悪)」ですね。
エロス(生)ではなくて、タナトス(死)の方…
釈迦は、それも煩悩の一つなのだと教えています。
でもそれは、修行者という面から捉えた場合、
生を望む現世の人達よりも、より修行者向きなのだと思います。
昔のインド社会で修行者になった人達の中には、
自己の消滅によって輪廻を断ちたいと願う人達も多かったみたいですね。
ちなみに、釈迦の二大弟子のサーリプッタやマハーモッガラーナは、
生でも死でもなくて、不死を求めて修行に入ったのだと伝えられています。
(古来のヴェーダでは、真我を悟ることを「不死を得る」と表現しています)
遊行中のアッサージと出逢ったサーリプッタは、
彼から、釈迦の説く「縁起の法」を聞いて、その意味を瞬時に理解します。
そして、法友であるマハーモッガラーナのもとへと急いで帰りました。
帰ってきたサーリプッタの姿を一目見ただけて、
マハーモッガラーナはその異変にすぐに気づき、彼に問いかけました。
「友よ、君は不死の道を得たのか?」
「友よ、その通り、私は不死の道を得たのだ」
二人は、どちらかが先に求める道を見つけたならば、
すぐに相手にも伝えることを固く約束し合っていたのです。
そして二人は、釈迦のもとへと向かったのでした。
> 正直、今生の自分には嫌気がさしました
> まわりにも愕然としました
> 生きるのって恐ろしいと思います
> 漏れは日本を平和だと思っていたけど、自分のいた団体があのような
> けしからんところで、自分が害悪の原因になっていたというのが
> なんとも恥ずかしいです
>
> ケロっとだまされる自分も
> 平気で騙す他人にも、嫌気がさしますわ
でもね、その「嫌気」もまた、輪廻を生起させてしまう煩悩の一つなんですよ。
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