喫茶Honfleur掲示板 2007〜2009年
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Message#22579 2009年6月16日(火)12時08分
From:
和井 恵
変更
補足説明
> > えええええ〜〜〜〜〜〜、この修行で向かう方向性は?? 某カルトの教えの言い方を
> > また持ち出すと、解脱悟りではなくって現世における幸福限定って意味なんですか?????
>
> 五蘊(仮設された個我)から離れることが出来なければ、解脱や悟りは訪れません。
> 自己啓発系の発想は、その個我の構成要素を改善してゆくだけですから…
>
> でも、現世幸福を得るという点では、とても有効な方法だと思います。
少し、補足説明をしておきます。
> この修行で向かう方向性は??
「この修行 」というのは、善業(功徳)を積んで悪業を滅するという方法のことですよね。
これに関連したコメントとして、私は元芝さんに、すでに(
Message#22399
)で、
> 仏教では、カルマの法則や功徳の理論を説きますが、
> これらは全て、「個我」を前提として成立するモノですよね。
>
> つまりこれらは、主に在家の人たちに「生天の教え」として説かれているものなのです。
>
> 解脱・悟りに至るためには、ある段階で、
> これらの教えから離れる必要があるのは、理解できるでしょ?
という発言をしているはずなのです。
カルマ(行為の果報としての形成作用)の働きに関しては、
私は現在では、(仮説された)個我の持つ五蘊の中の「行」の働きとして捉えています。
※「カルマ交換」と呼ばれているものは、主として「邪気」などの類(たぐい)であり、
その中には当然、その人の「残留思念(サイコメトリなどで知覚できる記憶・想念)」
なども、その「邪気」の中に含まれていると考えられます。
しかし、これらは「疑似的(一時的)な現象」なのであって、
本当の「カルマの交換(完全に相手に移行する)」などでは無いと思っています。
例えば、数多くの殺人を犯したはずのアングリマーラが、何故そのままの生涯で、
そのカルマを精算する(殺される)ことなく解脱をすることが出来たのかを考えてみた場合、
個我の働きを超えた、人々を支配する「カルマの法則」など存在しないからだと思うのです。
しかし、アーガマを読むと、とても不思議な話が出てきます。
解脱をして阿羅漢となったアングリマーラが、托鉢をしていると、
村人達から迫害されて傷を受けるのですが、それに対して、釈迦は、
それはお前が、来世で受ける地獄のカルマを今受けているのだ、と諭しているのです。
しかしこれは、よく考えてみれば、とても奇妙な話しですよね。
これが正しいとすれば、解脱をしても、地獄のカルマはまだ残っていて、
その精算を受けなければ、来世があって地獄へ落ちてしまうと言うのですから…
というか、そのようなカルマの働きを残したままで、解脱できるはずがありません。
これに対する、私の解釈は、次のようになります。
アングリマーラは、修行によって、個我の五蘊を超えることが出来ました。
しかし、村人達の個我には、当然、まだ事件によって形成されてしまっています。
村人達の「行(彼の殺人によって造られた、彼への怨み・憎しみという形成作用)」は、
依然として、まだ「そのまま残っている」のです(村人達は解脱をしていませんから)。
ですから、村人達と出会ったときに、アングリマーラの「行」の働きとしてでは無く、
村人達の「行」の働きとして、彼は迫害を受けたのです。
つまり、業には「自業(自分が受ける果報)」と「共業(他人が受ける果報)」があるのです。
アングリマーラは、托鉢から帰って心を静めようとしますが、釈然としないものが残ります。
私は解脱をしているはずなのに、何故、迫害を受けているのだろうか?
もしかして、私は、まだ本当の解脱には至っていないのではないだろうか?
おそらく、アングリマーラの解脱は、心解脱を主として実践されたものだったのでしょう。
その「心」に、微かな揺らぎが顕れているのを観た釈迦は、それを鎮めるために、
アングリマーラの納得しやすい、「地獄のカルマ」という対機説法をしたのだと思うのです。
釈迦が「出家」を弟子達にさせたのは、「共業」から離れることで、
「自業」のみへのアプローチを可能にさせるためでもあったのだと思います。
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