喫茶Honfleur掲示板 2007〜2009年
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Message#29239 2009年11月26日(木)11時31分
From:
和井 恵
変更
Re:和井恵さん!
神風代理人さんのメッセージ(
#29234
)への返事
> ご無沙汰してます。
> お元気そうで何よりです。
こんにちは、神風代理人さん。
おかげさまで、とても元気にしております。
> 突然で恐縮ですが、
>
> 五逆の罪
>
> 上について、教えてください。
> お願いします。
五逆の罪…ですか。
それについては、今までほとんど考えたことがありませんでしたね。
もしかして、石飛先生の掲示板で、
私がデーヴァダッタについて言及したことから、
(それを読んで)このような質問が出てきたのかしら?
ちょっとインターネットで調べてみました。
五逆罪とは、
人倫や仏道に逆らう5種類の極悪罪。
犯せば無間地獄に堕ちるとされ、五無間業(ごむけんごう)ともいう。
@殺母
A殺父
B殺阿羅漢・・聖者を殺す
C出仏身血・・仏身を傷つけ出血させる。
D破和合僧・・教団を破壊する。
(岩波仏教辞典項目「五逆」)より、
私は、肉親であろうが、他人であろうが、聖者であろうが、愚者であろうが、
殺人は殺人であって行為(身業)そのものには、特に差異はないと思います。
問題は意業(心の働き)にあるように思われますね。
禁忌(タブー)とされている行為を、あえて行うという「怒り・害心」の強さ(激しさ)の問題ですね。
そして、これを犯すと地獄に堕ちるとか、とんでもない非道の行為なのだといった議論は、
あまり意味がないというか、そういうことに、私はあまり興味がありません。
何故ならば、そのような分析(?)をいくらしてみたところで、
遠離(厭離)、離貪、解脱、悟り、…つまり、苦の滅尽への役に立たないように思えるからです。
もともと仏教には、不殺生(非暴力)という戒律がありますから、
それをそのまま尊守できる人は、それでいいわけで、
釈尊の教えを奉じる者であるならば、それが出来なかった人々を、
どうやって解脱・悟りに導くかを考えるべきで、それを非難することは意味がありません。
|50 他人の過失を見るなかれ。
| 他人のしたこととしなかったことを見るな。
| ただ自分のしたこととしなかったこととだけを見よ。
|
|【「真理のことば ダンマパダ」中村 元訳 】
これが、釈尊の説かれた「苦を滅尽するための教」えなのですから。
※デーヴァダッタについては、様々な捉え方ができるようです。
参照 → http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shiunji/yowa/yowa22.html
そして、『法華経』提婆達多品第十二では、
提婆達多は天王如来となるという未来成仏が説かれているそうです。
これは決して「悪人成仏」などと言うことではありません。
喩えて言えば、ここに「崖(絶壁)」があったとして、
ある場所から登れば「10メートル」のルートで済みますが、
別の場所からは「100メートル」の登路となってしまうようなもので、
二人の登頂者が、それぞれ苦労(努力)を重ねて、同じ頂上に立つ結果になったとしても、
そこで得られた(身に付いた)ものは、果たして同じだと言えるでしょうか?
罪など犯さないに越したことはありません。
しかし、罪を重ねた者が仏道に目覚め、解脱・悟りへと真に向かうのであるならば、
そのような経験(悪業)こそが、より大きな負荷となって、その人の足腰を鍛えてくれるでしょう。
でもこれは、それならば私も経験してみよう、などといった「甘いもの(安易なもの)」ではありません。
止むに止まれず、そうしなければならなかったという「追い詰められた必然性(縁起)」があってこそ、
それが「道」に目覚めたときに、自己を磨き、他を導くときに役立つような、真の経験と成り得るのです。
たとえどのような経験をしてこようとも、
それがその人の「貴重な財産」となって光り輝くときが必ず来るのです。
慚愧の心を持つことは大切です。
しかし、過去の経験に囚われたまま、後悔し続けることに、それほど意味があるとは思えません。
──私が「五逆の罪」について話しをすると、このような形になってしまいます。
(このような説明で、よかったのかしらね?)
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