喫茶Honfleur掲示板 2007〜2009年
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Message#6595 2007年2月1日(木)08時26分
From:
아벨(Abel)
変更
Re4:一寸小耳にはさんだのですが
聖者ぼんちリンポチェさんのメッセージ(
#6594
)への返事
> 「正しく」の基準ですか?
> まずは、明らかに困るようなことは消去法で消すことですな。
> 「正しく」で言い方がまずければ、「適切に」と言ってもいいでしょう。
> 明らかに不都合なものを消去した後の中から、
> 八方丸く収まりそうなものは、と選び出してもいいでしょう。
全ての人がOKするなんて無理でんがな。天理教あたりでは、親神ですら立教に当って
中山家との談じあいで3日もかけたとかいって、練りあいでは全員が納得するって原則
にのっとって、結局何も改革できないって雰囲気ですが、まあそうはいっても、中山家
が教祖を神のやしろと定めていただくことに抵抗した際、3日めには「不承知とあらば
この家粉も無いようにいてもたんど〜!」という恐ろしい脅迫になったわけですが(笑い)、
小泉さんみたいに抵抗勢力を蹴散らすくらいでないと、必要なことでも前に進まないの
ではないでせういか??
> そこは周囲とも相談すればいいし、逆にそのためのグルでもあるでしょう。
> その点においても、グル一人に対してあれだけの弟子、という
> オウムの状況がどうだったか、という疑問がありますね。
北朝鮮、統一教会、ロシアマフィアに相談してたのだったりして(笑)。
> いつも糞犯罪者がどうの、と言いつつ、彼みたいなこと言わないで下さいよ。(笑)
> 「法律」と言ったのは、その場の規範、というニュアンスで、
> つまりはいわゆる「法律」のみならず、周囲の空気とか、倫理観とか、
> そういうものを大きく逸脱しないで、という少し大まかな捉え方をお願いします。
まあ裁判所の判決っていうのも、要するに「世間の空気」に流されてると。大津事件の
裁判官のようなのは少ない?いやアカには結構いるか。共産党員疑惑にもかかわらず結構
体制派べったりのべんごしせんせもおられるし。
> 当然、同じ問題に対して逆の判決が出ることはありますが、
> この場合、まずは「裁判」というシチュエーションに持ち込まれない程度に、
> 択法をしなさいよ、という感じで受け取っていただければと。
民事の場合には全くご指摘の通りで、裁判にされたらアホ裁判官の当たり外れもあるから
何とか情に絡めて訴えられないように工作するわけなんですよね〜。でも某団体に対する
刑事の場合には、カッターナイフ所持で逮捕、歩スティングで逮捕ですから、普通の常識
を逸脱した国家権力のやり口ですしね。
> > そういう意味では、代表派の場合には「アンチ二元論」が主要テーマとさえいえるようです
> > ので、まあ色々と生みの苦しみ、過渡期故の問題はあるにしても、少なくとも破壊的カルト
> > ではないし、<b>危険性の無い団体</b>だとはいえるのではないでしょうか。
> 彼らの、とりあえず目指している状態に行き着けば、
> まあ危険性のない団体でしょうね。
> その意味では、それまでは外野は危険性の無い団体と認識しておけばよく、
> 逆に、自分たちでは危険性があるかもしれない、と疑い続けるべきでしょう。
> 危ないのは、外野からは危険だと言われるものだから、
> 自分たちは危険じゃない、と言い続け、思い続けることでしょうな。
現実には外部からは「危険」と思われてる、思わそうとしている状況はありますし、内部
には昔ながらの二元論的発想で自分たちは絶対って思い込んでる人も・・・或いは
ところで例の「方便」についてある信者さんからメール。要約紹介しますと
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
最近の方便説法は、「文字どおりに受けとめるべきでない法則」
として、話されているのだと思いますよ。マスゴミの悪意のブツ
切りみたいな取り上げ方をされるのは如何なものでしょう。
例えば教団の中には一連の事件にいたった流れの中で、A派の考
え方はおかしいと薄々感じているものの「経典にそう書いてある」、
「グルがそう言ってた」という理由でそれにとらわれ「このまま
やっていくしかない」と思い込んでいる人が存在していることは
ご存知の通りだと思います。
その人たちはあまりにも単純な教義解釈に凝り固まってしまって
いて既に思考が停止している(かと言って、停止させないとやっ
てられないのも経験上確かですが)、しかしその一方では相当に
悩み、苦しんでいることも色々と耳に入ってきます。件の説法は
そのように苦しんでいる人達を解放したい、という思いにおいて
なされたもので、最近は「智慧と方便」という教えについて説い
かれているのだと思います。
例えばダライラマ法王は、経典・聖典の中には、文字とおりに受
けとめるべきではないと次のように話されています。
---------------------------------------------------------
また大乗仏教を含む、仏教のさまざまな哲学学派の多様な
説明を全体的に考察するには、様々な経典が、それぞれ了義
(直接に真理を説いている経典)なのか、未了義(さらに解
釈を必要とする経典)なのか、区別することが必要だという
ことも分かってきます。
ある特定の経典に基づいて、この区別を行おうとするなら
ば、めやすになるテキストそのものが了義かどうかを実際に
判断するために、また別の聖典が必要になります。さらに、
その妥当性を決定するために、別の経典がまた必要になりま
す。このプロセスは無限に続くので、このやり方は、判断基
準として、まったく不適当です。そのうえ、経典によって、
了義と未了義を区別する方法が完全に逆になっている場合も
あります。
ですから、結局は、論理に基づいて、その経典が了義か未
了義か、自分で判断しなくてはなりません。このように、大
乗仏教においては、論理が聖典より大事なのです。
ある特定の表現や経典が、未了義であるかどうかは、どの
ようにして決めればよいのでしょうか?未了義の経典には、
様々なタイプがあります。たとえば、ある経典には、自分の
親を殺さなくてはならないと書かれています。
このような経典の言葉を、文字通り、額面通りに理解する
わけにはいきません。さらなる解釈が必要です。この場合、
親とは、汚された(有漏の)行いと執着のことです。それら
の結果として、輪廻の中に再生する、それ故、そのような汚
された行為と執着を断て、という意味なのです。
同じような表現は、「秘密集会タントラ」のような密教経
典の中にも見いだせます。そこでブッダは、「仏を殺せ、仏
を殺せば、最高の悟りに到達できるだろう」と言っています。
もちろん、このような教えを文字通りに受け取るわけにはい
きません!
ダライ・ラマ14世 宇宙のダルマより
---------------------------------------------------------
独り言
でも、そんなこと言い出したら何でもかんでもどんな解釈でもありになってしまうのでは???
猊下の言われることもわかるけど、「世間常識」を基準というのもね〜。まあ智慧ってこと
になるのでせうが。嗚呼、サマディに到達したい(笑)。
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