山本英司さんのメッセージ(#10861)への返事 > 聖者ぼんちリンポチェさんのこのやり方はいかがなものかなと。 いや、私は別に何もやっておりませんですよ。 ヴァジラスィミンさんの後押しをしているのみで。 > とは言え、ヨッシーさんは、「その話」をしたこと自体間違いであったと反省しておられるわけです。 > その反省の仕方が足りないとヨッシーさんを責め立てるのであればまだしも、 よく読んでくださいよ。 「睡眠に話したのが間違い」と書いていたでしょう? もしここに、完璧な協力者がいて、その話もした上で、 最終的にメーテルちゃんと思い通りになったと。 この時、その協力者にこの話をしたことは間違いではなかった、 という論法なわけですよ。 ところが私には言う、氷川さんには言う、ヴァジラスィミンにも言う、 そもそもアーレフに怒鳴り込んでさえ、 もはや謝罪対象の存在しない「事件」なわけです。 ご両親さえ、望んでおられないわけでしょ? 謝るんなら、今更どうしようもないことを、 大義名分として利用したことを謝れ、 ということですわ。 「睡眠に話したのが悪かった」という謝罪では、 そこから導き出せる結論としては、 「睡眠は悪漢、卑劣漢、馬鹿者」ということしかないでしょう。 表面上、自分の見る目のなさを詫びているようで、 その実相手を貶めているだけ、つまり単なる喧嘩ですやん。 そんな謝罪もどきには一片の同情の余地とてありません。 こちらから徹底的にその話の実用性を破壊し尽くすのみです。 その一方でメーテルちゃんへのアプローチには、 出来るだけの協力は惜しまないつもりです。 変態ストーカーとは思いませんもん。 いわば純愛ストーカーです。 女性サマナに、メーテルちゃんとのエッチ妄想を語る、 というセクハラもやらかしたと聞きますが、 その行為は褒められたものではないとはいえ、 私はそれも純愛のうちに含めます。 純愛でも性的妄想はあり、それを語りたくなる時はあるものです。 しかし、親友と思っている人の死を利用するのはいけない。 親友とも思ってない人のことを利用しているならまだ許せます。 しかし、その話を涙なくしては語れないほどの親友の死ならば、 絶対にそんな使い方をしてはいけないと思うのです。 考えてみてもいただきたい。 ヴァジラスィミンさんに、ヨッシーさんの暴走をとめる手段として、 この話を使われているのは何に起因するのかを。 それは、ヨッシーさんが初めにこの話を利用したから、ですよ。 私はすばりヨッシーさんに尋ねたいことがあります。 ヨッシーさんは人に利用されて生きてきたのですか? それも、単なる踏み台や雑巾役として…。 そして利用の後は「祭り上げられる」のではなく、 「捨てられてきた」のですか? |