パモーチャナ師のブログ日記から引用 http://blog.goo.ne.jp/bodhicarya/e/061db860707c402286c188c7248a2df8 チベット仏教の修行者は、人生の中で、多くの修行の師を持つ。それらの師は皆平等に尊敬の対象となるわけだが、その中でも、菩提心−−すなわち、すべての魂を救うために修行しようとする心、その菩提心を教えてくれた師こそ、最も尊重すべき師であり、その恩を決して忘れてはならない、と言われている。 中学のころから独学でヨーガ修行に励んでいた私に、菩提心の教えを教えてくれたのは麻原開祖であり、また、私が菩提心から外れようとしていたときにそれを修正してくれ、未来において大乗の道を歩く確固たる決意をさせてくれたのも麻原開祖である。だから何があっても、私は麻原開祖に対する恩というのは、忘れることはできない。たとえ麻原開祖が殺人者となっても、死刑囚となっても、あるいは、仮に私が最も許せないことを麻原開祖がやったとしても、そういうことは全く別問題なのだ。この恩を忘れることは、何があっても決してできないのである。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ なんかこの話を聞いて、 過去世でわたしもこうした想いを持ったことがあったような気がしてきましたね。 まあ、思い過ごしてあって欲しいですけど。 A派の「師」たちもこうした想いがあるのかしら、とも考えてしまいました。 |