さくらさんのメッセージ(#12426)への返事 > 今思ったんだけど、 > > 尊師!尊師!って言ってる人たちは、 > 浄土系仏教でもやっていけるかもね。 > > 尊師を「阿弥陀如来」に変換できれば。 ま、有史以来、ということで限定するならば、 「尊師」は実在の(しかも現役)歴史上の人物であり、 「阿弥陀如来」は架空の人物だということです。 つまり「阿弥陀如来」に期待されている役割は、 尊師に期待されていた仕事のうちのほんの一部だということですね。 死後、尊師にポワしてもらって、高い世界に転生できる、とか、 尊師の死後であれば、縁で尊師の転生した世界に生まれ変われる、とか 生まれ変わりに際して期待していた部分があったでしょう? あれだけになるわけですね。 死んだ時、冥土の旅が始まる前に迎えに来て、 極楽への直通特急に乗せてください、と。 そういう意味では、まだアーレフに残って、 尊師尊師と死後のポワを期待している連中なら、 方式としては浄土系で十分どうにかなる連中です。 そして、ここは大事なところだが、 真言宗でもお大師様に対してそのように考えている人が多いと。 四国を巡礼している人のうち、お大師信仰でやっている人の大半がそれです。 そう考えると、信仰心を持っている日本人の半数以上は、 おそらく浄土系方式でどうにかなる人たちなのです。 この種類の人たちが、仏の教えに対してとる態度は、 ただ平伏して、「ありがたや、ありがたや」と言うばかり。 「有難い」の意味が「恐れ多い」のソフト系にしかなってないわけですな。 内容を知ろうとしないばかりか、 知ろうとすると仏罰が下るんじゃないか、と恐れているばかりです。 大半がこうなってしまう日本人の性質。 昔の識字率の低さを差し引いて考えるとしても、 その無知さにつけこんで信徒支配をもくろんだ僧侶と、 それを利用して人間支配を意図した為政者、 そしてそれに抵抗し、改革しようともしなかった民衆の責任は、 やはり重いと言わざるを得ないでしょうね。 その結果が、現代人の持つ、「宗教」という言葉への偏見として 明らかな影響が残っているように見受けられますから。 |