オフでちょっとしゃべりましたがAの話題。 彼らは詐欺の構図にはまって、信徒をだます形で存続した。でも信徒のほうはさっぱり悪意がないため上司のうそに気づかない。ヒトは他者に自己を投影する。 逆に幹部のがわも善意でうそをつき、またほとんどの中間層は浦島太郎さながら事実を知りませんね。 善意だからこそヒトは自己の悪に気づかない、とはいえ煩悩を自覚してもいる。煩悩がないと思えた開祖に服従するほかに対抗の手段なしと。服従するあいだは罪を免れた気がすることでしょう。 では社会が教団を力ずくで潰したらどうなるか。尊師はやはり最終解脱者だった、と「帰依」ないしルサンチマンを深める。はたして開祖は依存しかできぬ弟子を誇りに思うのか。 それはよいとしてぼくが見た限り、Aには自滅の相がありますね。たぶん自滅以外のプロセスで彼らが反省することはなく、放置が最善と思う次第。 ひかりのほうは逆に依存しづらさが仇です |