キャンディさんのメッセージ(#17939)への返事 > PC壊れたので友達のPC借りながら@元芝さんのメッセージ(#17938)への返事 > 漏れは根暗なのかしれんが、やりたいことをやっている、ときが一番神がかりだってのは > まったく正反対の意見だな > そこらは仏教的見解だかん、漏れは え? 俺、仏教的見地から「やりたいことをやっている時が一番人間はバランスがとれている。それどころか神がかり的だ」って言ってるんだけど・・・^^; つまりね。 釈迦は最初から何もかも全て持って生まれてきた王子で、彼のやりたいことは「放棄」だったんだ。 「何もかも捨て去って自由になりたい。私が持っている物は全て重荷に過ぎない」 と考えた。いや、見抜いた。 で「放棄」を徹底してやったから彼に人生は「神的領域で生きる」ものになった。 仏教は「仏の教えを自分のやりたいことにしなさい」ってのがミソの実践瞑想だと俺は思うよ。 > > 麻原の言い方では > 異性とお付き合いしたいのに、できないときの気持ちはどうだ > 金儲けしたいのに、できないときの気持ちはどうだ > プライドを満足させたいのに、できないときの気持ちはどうだ、だな > まあ、麻原は、今では周知のとおり、恵まれない出生だからね > > 釈迦に言わせると > 人が得たいと思ったものを得るならば、満足を見出すだろうが > 欲したものを得ないならば、矢に射られたように苦しむ > だから、蛇の頭を踏まないように気をつけるのと同様 > 欲望を気をつけて回避せよ、 > > 麻原も一時期はいい思いしたけど、結局ムショにぶっこまれた > 人前では持てば持つほど欲しくなる、(だから欲を満たすことで満足を得ることはできない) 麻原は何も持っていない貧乏人の子。 しかも健常者なら持っている「視覚」すら満足に持ち合わせていなかった(ことになっている) 彼のやりたいことは「全てを得ること」 彼は得た。全てを。 でもそれは「他人をコントロールしてまでも。犯罪を犯してまでも」という身勝手なもの。 これだと最後は必ずバランスが崩れて己を滅ぼす。 彼は無間地獄に落ちる。 > とか立派なこと > 言ってたけどね > 麻原は(タントラは結局、落ちていく道である、タントラの修行者は欲が本質的に > 苦であるということを理解できない)といってたけど > 自分で見本を見せたみたいだ > > > やりたいことの「本質が見えていない」と駄目なんだよ。 |