和井 恵さんのメッセージ(#22519)への返事 > しかし、ここに「異塾果」という捉え方があるんですね。 > 譬えば、種の例を挙げるならば、様々な「縁」を与えることによって、 > 「種なしブドウ(本来のモノとは異なる果)」や「新しい品種」も造り出せます。 > また、種を種として植える場合もあれば、食料として食べてしまう場合もありますよね。 > また、誰かを殴る人は、「殴られるカルマを持つ人」を選んで殴っていることになります。 > つまり、相手のカルマを、無意識のうちにでも「認知」して選別していなければなりません。 > そうではなくて、何か特別な力が働いて、そのような行為をさせているのだとしたら、 > それは「宿命論(決定論)」になってしまって、本人の努力では変更不可能になり、 非常にわかりやすいご説明で、ある程度はたしかに理解できる部分もありますが、具体的に どういうことなのかまだまだ明確にはわからない部分もありって感じ。 開祖の説法に、確か修行者を殴る話がありましたけど、え〜っとどういう話でしたっけ。 修行者が殴られて、カルマが落ちたと喜んだ場合でしたか・・・。以前にオリーブさんと 誰かがカルマの法則について議論されてたのを思い出しましたが、どうも具体的な話でない と私の頭ではよくわからないと。 > すると、その人の心の中には「絶対なる聖」と「俗(それ以外の存在)」という、 > 根源的な、根深い「二元化(差別意識)」が起きてしまうことになるのだと思います。 で、そういう非常にわかりやすいデジタル二元論の一神教的な宗教が大流行と。絶対なる聖 の代理人を自称する「先生」が勘違いして威張りだすと。どこの宗教とは言いませんけど、 自分は徳があると豪語して上から目線の先生だらけw |