オウムには阿修羅的なタイプ、つまり情の薄い方が多かったと聞きます。 これは、非常に重要なポイントの一つだと思います。つまり、 「人情を超越した神」なのか、 「人の気持ちをほとんど理解できないバカ」なのか、 この違いは極めて大きいと言えるでしょう。 しかし一見すると、両者が非常に類似した状態であることが、問題だと思います。 仮に前者であれば、どのような残虐非道の事態を前にしても、ブレず、 冷静で、感情に支配されず、淡々としているでしょう。お釈迦様のように。 しかし後者であっても、やはりブレず、冷静で、感情に支配されず、 淡々としていると考えられます。タマスだからです。 後者の場合、いざ法廷で被害者や遺族の証言を前にした時、 そこで初めて人の気持ち、人の痛みをリアルに知り、 人情の何たるかを理解し、ようやく最初の一歩を踏み出すことがあるでしょう。 現在もオウムを支持している方には、実は後者のタイプが結構いるんじゃないだろうかと、危惧しています。 もちろん、人情的なタイプはそもそも両親を大切にするでしょうから、 そういう方は最初から修行に人生をかけることはなく、 働き、結婚し、子供を生み、両親を安心させていたと思います。人間らしく。 つまり、お釈迦様のような完成者に至る道に入ることは、有り難いという話です。 タマス的段階を超え、人情に巻き込まれた段階に入り、最終的には人情を超越した段階へと至る。 そういう順序がベターなんじゃないか、と思います。 しかしやはり、人情に巻き込まれた段階に入ることは、 修行者や宗教者として様々なデメリットが生じてしまうと考えられるため、 何とも言い難い部分ではあるとも思います。 しかし他人の気持ちが分からないと、慈悲どころの話じゃないような…。うぅむ…。 |