結局、疑うっていうことは、「疑うことで保全される価値観」を信じている、 と言えるかもしれない。 だから、何かを信じるということは、「それに反する価値観」を疑っている、 と言えるかもしれない。 信仰も、疑いも、単に手段に過ぎないのであれば、 結局は、その先に何があるか次第なのかもしれない。 ちょっと、この掲示板上で、片側、つまり“信仰”ばかりに拘っていた自分が、 バカみたいに思った。まあ、バカなんですけど(笑)。 いや、ちょっと違うな、 「普通の人には信じられないことを信じられる俺って、凄いぜ」的な、 ある種の優越感を抱いていたのかもしれない。 まあ、どの道、バカに違いはないんだけど。 |