要はですね、 何かを嫌悪している方が、それを受け入れて、それを嫌悪しなくなったら、 「心の広い人」になって、その人や、その周囲は、平和で幸せに向かうでしょう。 強い嫌悪が続けば、その人や、その周辺は、殺伐として、心の狭い状態が続くでしょう。 嫌悪の対象として例示したのは「凄く嫌いな人」や、「帰依対象を否定する考え」などです。 じゃあ、その嫌悪の対象を、どうやって受け入れるか、と言いますと、 「その人は実は、素晴らしいことをしていた」、または、 「その人は実は、煩悩の塊だった」といった情報が、 証拠も証明もなく提示された際に、 その情報が正しいと素直に“信じる”という選択が挙げられると思います。 その嫌悪の対象にも、様々な観点がありうる事を感じることで、 それまでに抱かれていた固定的識別が破壊され、心はその分だけ広がり、 より純粋で、理想的な精神状態に一歩近付くと言えるんじゃないでしょうか。 これ以上はやめておきます。失礼しました。 |