YASUさんのメッセージ(#27164)への返事 > > 強いというよりは、功徳が勝っていたんだと思いますね。 > 豊臣秀頼、上杉景勝、石田三成、直江兼続らに比べて。 > 家康は天界的なのに対して、上記の方は阿修羅的ですし、 > 上杉景勝らは「義」を旗にしていたように正義感でやっている感じですね。 > > 一方、家康は、たぶん相当、宗教界に寄進をしていた可能性がありますね。 > 天海上人を含め、そうそうたる宗教界の面々が付いていましたから。 > それに、上祐氏も賞賛していたように、忍辱波羅密もできていたと。 > そのことから考えて、天下を制して当然という気がします。 全部が全部宗教的物差しだけで判断するのは「偏執狂」の傾向があると思いますよ。 「愛」を兜に掲げていた武将がいますが、あれってあの時代大変に 「変態」 な行為ですよ。 当時の方々にとってみると「愛」って「愛欲」や「性行為」そのものを指す言葉でそれを堂々と額に掲げるなどもうとんでもない赤面行為。 つまりあの武将はそういうことで目立とうとした人なわけです。 「義」も同じ。 戦場で「義」とか言い出す人が真っ先に死にます。 嘘だと思うならアフガニスタンに傭兵でお仕事してきてみたらいいですよ。 「義」も戦場では目立とう行為です。 つまり 我々が歴史の授業やNHK大河ドラマなどで知っている偉人・武将は 「ロマン偉人・ロマン武将」 なのであって真実とは違います。 為政者の特定宗教への寄進・布施はその宗教での統治・権威を借りるのが目的であってこれが功徳になるかならないかでいえば ならない。 また徳川家の寄進・布施は完全に幕府安泰のための戦略的意図(敵が攻めにくいようにや呪的要素)があるので純粋に「寄進・布施」とは言えない。 当時の宗教界の面々は「知的スーパーエリート」なのと各方面への「人脈と影響力」があるので為政者としてはこれを利用しない手は無かっただけです。 19世紀初頭まで人間は、一般大衆は「自分で考える」ということが出来なかった、という研究成果があります。 一般大衆は「一部の思考力を持つ者たちのいいなりの奴隷のようなもの」だったそうです。(現代もそうだと思いますが) 現代ほど複雑でなかった時代には、己が野望成就のために「為すべきことを為し、為してはならないことを為さない」ということを基準として自分で考えて自分で行動すれば時代は動かせたのだと思います。 徳川の世3百年はただそれだけのことだと思います。 |