おさむさんのメッセージ(#28324)への返事 > > 別に知識のいるようなことではないでしょ。 > > いや、いるでしょう とはいえ、どう頑張ったって、 在家会員が持ってる知識以上のものなんて、 得られないですよ。(笑) とりあえず命に関わるような危険性が見られない以上、 それ以上に一般人たる我々が知ろうとしても意味ないでしょう。 > 嘘はついている、という前提で読み解くべきです > 上祐に限っては 円滑に生活するための嘘くらい、私でもつきます。 でも、説法するのに、私は嘘はつきませんよ。 でね、ある特定の人物の言動を、 「あいつの言うことは嘘だ」という前提で読み解いた場合、 何一つ検証の対象にできなくなるではありませんか。 例えばヨッシーちゃんが、「上祐、説明しなさい」と言ったと。 で、上祐の兄貴が出てきて説明を始めたと。 その説明に対して、「上祐の言うことを信じてはいけない」と言ったなら、 検証も何もない、問答無用の決め付けになってしまうではありませんか。 冷静に嘘なのか本当なのかを検証するところから始めるべきで、 「上祐に限っては」なんてもっともらしい言葉をつけて、 最初から否定してかかる、なんておよそ日本男児のすることではありません。 第一ですな、上祐さんがあれだけ尊師否定を繰り返して、 信じた人たちが長年ついていって、 その果てに「実はあれは嘘。尊師を奉ろう!」なんてことをいったら、 おそらく誰一人としてついていかず、 逆に上祐さんが放り出されてしまうだけだろうと思います。 もし上祐さんを疑うのであれば、 在家出家を問わず、輪っかの会員については、 全員が実は尊師絶対主義者であることを疑わねばなりますまい。 それにね、これは私個人的な考えなのですが、 上祐が独立して平和裏に運営し、悟りを目指す、 ということが尊師の意思であり、それを実践しようとしているのだとしたら、 意思の内容が危険性のないものであるのだから、 それはそれで認めてあげようとさえ思います。 > は? > 批判と攻撃の定義を解説願います この場合、 批判とは相手の足らざるを修正するために、 指摘する、という行為。 例えば彼らは高野山でえらい迷惑なことをやらかしてくれましたが、 それについて指摘し、改善を促す、というのは これは批判であり、注意である、と思います。 攻撃というのは、例えば外的圧力で解散させるとか、金儲けのネタにするとか、 そういう愛情のない目的のための手段として、 足らざる点を指摘し、改善を促すことよりも、 存続することの不当性を言い立てることです。 > で、私のも攻撃になると?? なる可能性だってあるでしょう。 少なくとも、是正を求めては言ってないでしょう? > 例えば? > 過去記事など、全文引用して、 > ここに掲示してください 別に引用してまで、「批判をした」という実績を 証明する必要はありますまい。 内容としては上に書いたようなことです。 それから神風代理人さんも書かれていたように、 用語集の読み方の間違い・・・わざと違った読み方をしている・・・ に対して、そういう方法を採用する姿勢そのものを批判した、 ということもありました。 その時は、釈迦の名前「ガウタマ・シッダールタ」を 「ゴータマ・シッダルータ」と表記し、そう発音していたと。 細かいことを言えば、「ゴータマ」と書いたからには、 それはパーリ語だから「シッダッタ」とせねばならぬところですが、 そこまでは言わず、せめて「ゴータマ・シッダールタ」にしてほしいものです。 実際、俗称としてはそういう言い方をしますからね。 しかし、何の差をつけようとしているのか、 「シッダルータ」などと書き、発音していた。 その姿勢を指摘しました。 > そうか、悪口のカルマかw > 正確には不悪口のカルマ、でしたっけ? 不悪口という言葉を使うなら、 「不悪口戒の破戒のカルマ」でしょうね。 ただ、もう別にカルマとも考えていません。 言いたいことを言いたい人が言う、 と考えているだけでね。 |