|
아벨(Abel)さんのメッセージ(#6564)への返事 > 名古屋方面の某腐れミカンちゃんがご執心のミラレパ正大師みたいに・・・ そうです、ミラレパ正大師みたいに。そのミラレパ正大師を素晴らしい修行者だと称賛した師がいたとか言っていましたね。グルの意思の実践と言う観点から言ったら、ミラレパ正大師がなした実践は、オウムの宗教実践的には正しいのです。賞賛した者も、同様にオウムの宗教実践としては正しいと言うことになります。もちろんここでいう実践とは、殺人が正しいと言う意味ではなくて、グルの意思を遂行したという点においてです。今は、世間の目があるので、こんなことを公に言う人はいないでしょうが、古い信徒、サマナは誰でも簡単に理解できる内容です。 > まあ現世でも、雪印や不二家の社員と紙一重のことを私なんかも毎日のようにやってる > わけですが、組織からつまはじきにされたらやっていけないとか、プライド・自己保全 > の心とか、まあいろいろあって、疑念も抱きつつも犯罪行為(と紙一重)やっちゃってる、 > それに近いものでもあったのですかね〜? そういう方達がやはりいたのでしょうね。 > 二元デジタル的に100-0で全面否定するとか肯定するとかいうのではなく、麻原尊師と > いう存在の矛盾をアウフヘーベンして、次元の違った新しい進化した宗教の理念を模索 > しておられるのではないかと期待しているんですけどね。 あべるさんの期待は十分に理解できますし、そのような形になっていくことが理想形だと思いますが、言語と言う二元のツールしか使えない我々にとって、本来一元に到達するのは、サマディに到達しなくてはならず、大変な困難さがあるわけです。今生で到達できる人などほとんどいないでしょう。 したがって、一元的な思想を利用することになるのですが、それでも、一元的な思考の状態に持っていくためには、偏った思考をつぶしていく段階が必要ではないかと考えるわけです。すでに、我々の中には、尊師=絶対善という観念が強烈に植えつけられています。したがって、この観念を+だとすれば、強烈な−のデータをぶつけない限り、フラットの状態にはなりません。ただし、あべるさんのように、最初から教祖=おもしろおじさんくらいの感覚で見ている方は、この例からはずれます。(笑) したがって、私が上祐氏に対して、教祖批判をせよという背景には、そのような強烈な観念崩壊をさせなければ、理想とする一元思想の実現は難しいのだということを言いたいわけです。一旦フラットになれば、嫌悪からも離れられます。そして、自分がオウムのどこに引かれたのか、教祖のどこに引かれたのか、教えのどの部分で救われたのかが自ずと見えてくるようになります。そこに至って初めて、全ての中に仏性があるという次の段階に進めるようになるのだと思います。 みんながみんな、上祐氏のような修行の天才なわけではありません。段階を踏ませず、次へ進めようとすれば、必ず軋轢が生じ離れる者が出てきます。まあ、どちらにしても、教祖を徹底的に批判した段階で離れる者が出てくるかもしれませんが、それはそれで仕方がありません。そこで観念崩壊出来なければ、一元思想など机上の空論で終るわけですから。是非上祐氏には、宗教生命をかけて教祖批判をしていただきたいと思っています。 > このへんになると評論家風情には一寸荷が重いですので、 すみませんね。(笑)自分のブログの更新もしないでこちらにばかり書き込んで。 なんか、気合が入っちゃって、何でも言っちゃいたい感じになってしまった・・。 しかし、古い信徒やサマナが本気で全てを吐露したら、アーレフなどあっという間に吹き飛んでしまうんじゃないですか。シヴァの喜びさんだって、小出しにしているくらいですから・・。 >せめて関西担当の広報担当者の方あたりのご意見なども頂戴できたら光栄と。 広報の方がここに書き込みされるのですか? 是非御意見を伺ってみたいですね。 > 現世では、開祖の「部分肯定」と言っただけでもキチガイ扱いだと思いますが、部分肯定 > できる「部分」とは、たとえばどのようなところでしょう。 ・オウムは間口が広く、宗教嫌いの者にもとっつきやすかった。 ・オウムはいろいろな宗教を内在していたので、ヨーガ、仏教、キリスト教と関連付けて学ぶことが出来た。 ・愛と愛情の違い、カルマの法則、四無量心など、現世で生きていく上でも役に立つ教えは存在した。 ・五戒、十戒などの戒律の意味合い。背景にある教えなどは役に立った。 ・霊性だけでは魂が救われないことが分かった。 こんなところでしょうか。 |