Message#2236 2005年12月29日(木)06時31分 From: 和井 恵 | |
| >この時、命の不思議さと、学校で教えてもらった進化論とか、 >自然科学の知識とは少し違う仕組みがこの世にあるという事を知りました >タニシの親は、自らの命は失ったけど、 >遺伝子にその命を失った原因を克服うるデータを残し >子孫をこの世に送った。。。
私も「杏奈ちゃん」と同じような年の頃、 似たようなことを考えたことがあります。
当時の私も、「阿含宗」に入ってはおりましたが、 「輪廻転生」や「六道世界」などはまったく信じていませんでした。
私が考えたのは、「プラナリア」と呼ばれる生物についてでした。 この生物は、とても「復元力(再生能力)」が強く、 体を二つに切り離すと、それぞれが「再生」を始め、 「二つの個体」が誕生します。
「単性生殖(増殖)」ですよね
この場合、 「元の個体」は「どちらになるのだろう?」と考えたのです。 体の「ごく一部」を切り離した場合、 「元の体(個体)」は「大きい方」のように思えます。
しかし、「真っ二つ」に分けた場合は、どうなるのか…
どちらが「元の個体」とは、判断ができなくなる。 そして、この考えを進めていくと、 「体の大小」によって、「新」とか「旧」といった「判断」をするのは 間違っているのではないか… という考えに行き着くわけです。
そして、私たち人間の「体」も、 「精子」と「卵子」という「複合的な要素」はあるにせよ、 「単純化」すれば、「プラナリア」と似たようなものではないだろうか? そう考えて「イメージ」を広げていくと、
「無始の過去(生物の始まり)より、延々と途切れることなく続く生命の流れ」
を「実感」として捉えることが出来て、 「鳥肌が立つような感動」を実感したことがあります。
「肉体」なんて、宗教では「謬見(つまらないもの)」として切り捨てていますが、 これはこれで本当は「凄い」ことなのではないだろうか、と。
>セミナーの時に、ほとんど寝ていないので、シャヴァアーサナの時、寝てしまう >そのときに、見ましたよ色々な時代の自分の夢 >瞑想中も・・・ >たまに、説法中に意識を失って夢をみることさえ・・・汗 > >でも、私は、これらは単なる夢だと思っているし >ヴィジョンなんていう言葉は、死んでも使いたくない >ステージ低いから、他人の体験談も信用できない。。。
私も、「阿含宗時代」に、 寝ているときに「尾てい骨」から「凄い振動を伴った何か」が、 背中を「駆け上っていく」という経験や、 「体から意識が抜けて天井までフワフワと昇っていく」という体験はしています。
でもね、私は「中学二年生」の時に、「催眠術」というものを知りました。 そしてそれ以降、「臨床心理学」の勉強を独学で続けていました。 ですから、「心」や「暗示」による不思議な働きを、良く知っていので、 それらの「体験」が「真(リアル)」であるのか それとも「偽(バーチャル)」なのかなんて、 結局は「解らない」と思っていたのです。
特に「宗教家」の言う「神秘体験」などというものには、 興味はもちろんありましたが、 うかつに「信じ込む」のは「危険」だなと感じていたのです。
そして、彼らは「その神秘体験」を「元にして」教義を展開してゆきます。 つまり、その「教え」は「後付け(体験を基にした解釈)」なのですね。 ですから、「体験」は正しく(リアル)でも、 その「解釈」が間違っている場合もある。
私は、瞑想による「体験主義(神秘体験第一主義)」というのは、 大きな「落とし穴」に陥る「危険性」を孕んでいると考えています。
>この辺の不審を克服できると修行が一段階すすむのでしょうが・・・
別に「克服する(やっつける)」必要は有りません。 「友達」になればいいのです(笑)。
私の好きな言葉の中に、 「迷いの中に道あり」という言葉が有ります。
人は、何か(例えは、真理・真実)を求めて彷徨います。 しかし、そこへ「到達」できる「道(道程・方向)」が解らない…
しかし、その「試行錯誤のプロセス」こそが、 まさに「道を歩く」事なのだと思います。
「サイバネティクス理論」によれば、 人はその「働き」として「サーヴォ機構」というものを持っているそうです。
「サーヴォ機構」というのは、一種の「自動制御装置」のようなもので、 例えば、ミサイルに「目的」を設定(インプット)すると、 後は方向を「自動修正」して、目的地まで飛んでいく。 あるいは、ロボットなどは、 最初は手で「掴む」という行為が、なかなか出来ないらしい。 「上手く掴む」という「力加減」が難しいらしい。 しかし、この「サーヴォ機構」を利用すると、「試行錯誤」しながら、 「目的とする設定(力加減)」を見つけ出していく…
「道」を歩む上で、一番大切なのは「誓願」です。 強い、しっかりとした「目的意識」を持つこと。 それによって、私たち誰もが持っている「潜在的な力(サーヴォ機構)」が働き始める。
「迷う」ことは、とても辛いものです。 心が「不安定」な状態を続けるわけですから。 ですから、すぐに「白黒(否定か肯定)」をつけたがる。 「常見あるいは盲信(肯定)」もしくは「断見あるいは不信(否定)」のどちらかをすぐに選びたがる。 自分の「心(意識状態)」を「安定」させたいが為に…
しかし、そこに「本当の道」は存在しないのです。
そしてね、「迷いのプロセス」を歩いていくうちに、 色々なことを「経験(トライアル・アンド・エラー)」します。 その経験が、後になって「役に立つ」のです。 決して「無駄」では無い。 それらの経験は、必ず貴方の「素晴らしい宝」となるはずです。
そして、いつか「類は類を呼ん」で、貴方に「法友」が出来たとき、 その人が、かつての自分と「同じような悩み」を持っていることに気づくでしょう。 その時こそ、「貴方が経験してきたこと」が役に立つのです。
決して「マニュアル(ワンパターン)」なんかじゃあない、 血の通った「アドバイス」をすることが出来るのです。
貴方は、その「道」をすでに歩き始めている…私は、そう信じています。
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