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Message#3405 2006年4月14日(金)03時18分
From: 匿名
 
よく調べてらっしゃいますね。
>北の川は「中久保川」と申します。左の写真・地図で「B」の文字で示した林道がこの川
>に沿って走行しています。
>ご指摘の部分は、敷地の北側で等高線が二箇所食い込んでいるところでしょうか???

たぶんそうですね。私の記憶とも合致します。ずいぶん侵食が進んだようで。ズタズタかもね。

>最後の林道が車で走行できない場合、中久保川から徒歩でここを登ることは可能でしょう
>か?? ここなら遊雀川沿いの地図にある道から、地図に無い道(図で青線)を中久保川
>ぞいに、せいぜい1kmも歩けば到達可能かと期待しているのですが・・・。

バイタリティがありますねえ!感心します。でも今週始めからの大雨です。どのように山が緩んでいるか
わかりません。沢歩きは避けた方が良いのではないでしょうか。

>> 目的地までの道路には、当時オウムがかけた橋が確か6本あったと思います。
>これはどこから6本ということでしょうか。

波野村の方向からです。西側の道は、当時の台風による被害で目的地が孤立したときに通った事が
ありますが、車一台がやっとです。集落のはずれを通ります。当時はまだ人家がまばらに在って
その脇を抜けて行きました。10年以上経ちましたが、どれだけ整備されていますでしょうか?

>資料によるとオウムではバスを何台も乗り入れたそうですから、当時の道は結構立派な
>ものだったのでしょうね。ただ、資料から我々が突き止めた道というのは、敷地の北西
>端から入る、図の「B」の左のところだけのようですが、複数のルートがあったということ
>なのでしょうか。

おっしゃるとおりです。東側からの道は大型の自動車の通行は不可でした。

>「べんごし」先生
>が、反対側の山の上から跡地を一望できるとおっしゃった山の上へ行く道だと思うのです
>が、これはオウムが勝手に作った道とは思えないですよね。この道は山の中を数キロ走る
>必要あり、徒歩では一寸苦しいですが、中久保川から分かれて北の山に入っていく道。

当時、大きな橋がかかっていて、それを南に渡ると目的地に。渡らずに直進すると目的地の
北側の山に出ることができました。橋の位置は目的地よりかなり手前でした。
直進する道も車一台なら行けるくらいの幅は有ったと思います。
村の方々は北側の山や南側の山から監視しておられました。ご苦労をかけたものです。

以下は私の勘違いもありまして余計なことを申しました。お許しください。
くれぐれもお気をつけて。


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