タイトル
Message#から前件を

日から 前を
最新20件最新50件最新100件最新200件200件以前
昨日以降(0)*2日前以降(0)*3日前以降(0)*4日前以降(0)*5日前以降(0)
サーチセットアップ

Message#3644 2006年5月10日(水)00時03分
From: 聖者ぼんちリンポチェ
 
Re6:さくらさんへ
YASUさんのメッセージ(#3642)への返事

> わたしは、これを見て、ますます、高野山に行きたくなりましたね。
> 空海のように神通力を使わなくても、
> 曼荼羅上の「大日如来」の位置に「投華得仏」することができるんですから。
>
> でも、出家僧侶は違うと思いますね。

この出家僧侶にとって、結縁灌頂の先に受明灌頂、伝法灌頂と続くように、
私の感覚の中では結縁灌頂って「入り口」のような気がするんですね。
真言宗の在家信者、それも盆暮れと彼岸、命日にはお墓に参って・・・
というような日本で言うところの「仏教徒」として生きていく、
という腹積もりならそれでも良いような気がするんですが、
密教の行法を習得して云々と考える人間にとって、
等しく大日如来の上に、というのはちょっといただけないんですよ。

まあこれは価値観というか、単に好みの問題なんでしょうけどね。(笑)

> 以前、
> 事件後のオウム真理教にいた頃、
> 会員・信徒対象の年末セミナ〜に一緒に参加させていただいたんですが、
> どういう訳か、みんな、
> サットヴァ・レモンが入った水筒を持って時々飲んでいましたね。
> 「甘い!そんなに水分とっては成就など出来ないんじゃないか?」
> と、わたしは冷ややかに見ていました。
>
> 嗚呼。

もっともどうでしょう、彼らが「水分」を求めているんじゃないとしたら。
あれってイニシエーションですからね、一応。
昔のオウムって、健康に良い単なる食品と、修法済みの毒物とがあったら、
熱心な人なら、またそのように言われたければ、
迷わず修法済みの毒物をとるべきだ、という雰囲気がありましたから。
だから普通なら「水分取りすぎで成就できなくなる」と思うところを、
「グルのエネルギーをなるべくたくさん取り入れたら逆に成就は早い」
という発想が信徒の脳内を支配していたんだろうと思いますね。


最新20件最新50件最新100件最新200件200件以前
昨日以降2日前以降3日前以降4日前以降5日前以降
bbs0506.cgi Ver. 3.114
Copyright(C) 1997-2005, Hideki