| YASUさんのメッセージ(#3778)への返事
> ・イエス・キリストが結婚して、子供がいた。 > > ということが、気に入らないでしょう。 > 教義の根幹を揺るがすことですからね。 > > 仏教でいえば、「お釈迦様が出家弟子の女性と不倫をしていた」 > というようなものでつ。
結局、イエスの肉体が子供を作った、という物理的事実(?)云々よりも 神の子イエスの魂が女性と交わることを選択した、ということは 絶対に考えてはならない発想、ということなのでしょう。 少なくともカトリックが成立した段階における信者の発想レベルは、 セックス=気持ち良い事だが下劣な行い、という図式しかなかったでしょうから。 この発想から抜け出せない人に「イエスは子持ちだった」などというのは、 理由もひったくれもなく、「イエス=信じるに足らぬ人」 ということになってしまうでしょう。 となると、教団の存在が危ぶまれることにもなる・・・。 これじゃどうしようもありませんな。
結局、ヨーロッパにおいて宗教的にセックスが含まれていた場合、 その宗教そのものが悪魔崇拝とみなされることになりました。 もう20年近く前にあった「最後の誘惑」なんて映画も、 最後にマグダラのマリアとのセックス(幻影)シーンがあると。 これは実際は既に磔になったイエスが悪魔によって見せられた幻影なのですが、 その幻影の中でマリアとセックスすることを選択しているのはイエスの魂なわけで、 仮にも神の子たるイエスがそんな選択をするとは!ということで かなり叩かれた映画だったと。
思うに、まあセックスが宗教で使われる場合それは「密教」という範疇になりますが、 東洋でいう「密教」と西洋でいう「密教」とでは意味やニュアンスに 大きな隔たりがあるのではないかと。 東洋の場合、仏教の発展形態として、ただ、高度なるがゆえに 未熟な者に不用意に明かすわけにはいかない、という理由での「秘密の教え」だが、 西洋の場合は、なによりもまず初めにカトリックありきで、 カトリックの発展形態ではない、どちらかといえばユダヤ教などがベースの修行法が、 カトリックに迫害されないために隠れてやんなきゃいけない「秘密の教え」であると。
> これも、 > 仏教的にいえば、 > 「デ〜ヴァダッタは、悪人ではなかった!」 > というくらい衝撃的でしょう。
残念ですけど、デーヴァダッタが悪人ではなかった、という話は、 よほど頑迷にそれを信じ、またそうでなければ信仰が成り立たない、というような 信仰の仕方をしている人でもなければ、それほど衝撃はありません。 その理由はいくつかありますが、ポイントは一つかもしれません。 それは、イエスはユダの「裏切り」に負けてしまい、殺されたが ガウタマ・シッダールタはデーヴァダッタの「裏切り」にあっけなく勝利し、 受けた傷といえば、石を落とされてその破片が少し足を傷付けた、だけだったと。
キリスト教の人間にとってはユダはグルを殺した憎き仇! 仏教ではデーヴァダッタはグルに勝てず、グルは不滅の存在! どっちの方が執念として持ち続けるモチベーションが高いでしょうか? という問題ですね。
ですから、
> でも、「デ〜ヴァダッタ」の場合は、法華経では好意的に描かれていますし、 > 上祐氏も荒木広報部長との獄中書簡で、 > 「デ〜ヴァダッタは『高位の菩薩だ』」と言っていましたので、 > 大したことないかも。
まさにこんな感じで、どちらかといえば正大師本人が、 釈迦涅槃後のデーヴァダッタ!みたいな感じかもしれませんな。 つまり、教団本流の雰囲気が合わず、一派を打ち立てた、みたいな。 それも、グルがいる間は表立ってしなかったが、グル亡き後実行した、という感じ。
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