喫茶Honfleur掲示板 2007〜2009年

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Message#20119 2009年2月19日(木)07時36分
From: 和井 恵
変更
Re5:まとめレス
YASUさんのメッセージ(#20116)への返事

> > その本源(大日如来やシヴァ大神)が何なのかを知り尽くし、
> > 逆にそれを自在に使いこなす位でないと、世界の相転移は起きないと思います。
>
> 難しそうですね。

ええ、簡単ではありませんね…

> 「世界の相転移」というのは、
> ソンシが目指している「救済」のような気がしますな。
> で、巻き添えを食らったのが、われわれと。

これは、救済ではなくて、創造です。
救済というと、「他者{他者の自己)」が必要でしょ?
自己ですら、この世界には無いのに、何処に救うべき他者がいるのですかね?
atomさんも言っていたけれど、「救う」という言葉(考え)には、
必ず他者(という幻影)への「見下し」という煩悩がが入っているのです。

そうではなくて、この現象世界は「無常」ですよね。
絶えず変化している。
この変化がランダムで、コントロールが出来ないほど「苦」になるんです。
だから、その変化を、無常を形成している「原理」そのものに働きかけて、
コントロールしていく、ということ。
これが自在になるほど、苦は楽に変化するのです。

> それはともかく、釈迦と高い世界にいる如来方とでは、
> 大きな差があると思いますね。
> ソンシも説法で言っていたと記憶しております。

その如来方って、いったい何ですか?
そういう人格神のようなモノがいるとでも?
まぁ、いると言えば、そう言えなくも無い(否定の否定)かな…

釈迦、というよりも、私たちの真の自己の本質は、
「天上天下唯我独尊」なんですよ…
この意味がわかりますか?

> 正木晃氏の本によると、昔チベットのある寺院で、
> 支那禅(中国禅)とインド仏教の僧侶同士の論争があったそうです。
> 争点は「功徳の集積」を認めるか否かだったそうです。
>
> これからヒントを得て、
> 如来になるにはその「功徳の集積」も必要ではないかとわたしは考えますね。
> そうすると、ソンシがなぜ出家制度を作ったのかも見えてきてしまいます。
> 弟子に功徳を積ませたり、自分との縁を付けるためです。
> (結果としては周知の通りになりましたが)

密教では、功徳の積み立てなんて方法は使いません。
三密加持、入我我入の技法によって、原理的なエネルギーそのものと一体となるのです。

瞬時にね。

> まあ、他力的に世界の相転移を期待するより、
> 個人レベルで「相転移」を目指す方が無難のような気がします。

三密加持、入我我入の技法というのは、他力を自力に変えてしまう技法なんですよ。
そしてこの時に、妙な信仰心(自己を相手の下に置く)などを持ち続けてしまっていると、
本物の自力(自在力)は発現しないんです。
だって、心の奥底で、対象を自己より「格上だ」なんて思いこんでいる状態で、
どうしてその対象と「一体化(同化)」することが出来ますか?

…いや、信仰心は、力を使うときに悪用を防ぐ安全弁として働くことはあるかも。
要するに、心の使い方の問題なんですけどね。

> > 釈迦の教えた方法で、慧解脱・心解脱の成就によって、
> > 「明智」を得てから密教の技法の習得に入り、その原理を把握して使いこなす。
> >
> > しかし、これを言い始めると、妙なことにオウムの教義に似てくるんだよね…
> > マハーヤーナスートラに書かれていた、「七段階の修行過程」に。
>
>
> ひかりの輪よりもA派Alephに近くなってしまいますね。
> 「シヴァ大神の意志だ!」「救済だ!」なんて言いたくなったらお仕舞いです。

いいえ、全然内容が違うと思いますよ。
まぁ、そんな面倒なことを、やるかどうかは別としてね…

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