| > あの傲慢さは幼稚以外の何ものでもない。観念というよりも傲慢であるが故に > 自分の都合のよいように話を解釈してるという感じだ。
自分の都合の良いように、と本当にそうなっているなら私も文句は言いませんが、 熱いサウナに入った人が、「この熱さから身を守らねば!」と言って サウナの中で全身鎧兜で身を固めているようなもんだと思いますから、 実は裸になってしまうのが一番自分に都合の良いものなのだ、と 教えてあげたいと思うんですよ。
> あれを何とかするには一度、T師補に徹底的にふられ、絶望し、自殺を考え、 > そこから這い上がってくるようでなければ無理でしょう。
ただし、今そうなるということは、 重たい鎧兜を着た人を崖から突き落とすようなものですね。 おそらく鎧兜を着たまま起きあがる力もなくなってそれきりでしょう。 ですから、せめてもう少々身軽にしてやってから、と思ってます。
> しかし、自分の都合のよいように話を解釈する男にどうやってT師補は > もう2度と君のところには戻って来ないんだよ、と思わせるかですよね。
絶対戻らないこともないと思いますよ。 ただ、私は彼をあるレースのスタート地点につかせたいと思ってます。 彼が変貌を遂げ、師補が戻ってきてくれる日が来るのと、 変貌し、ついでに師補へのとらわれが吹っ切れる日が来るのと、 どちらが先になるか、というレースです。 まあ励みにはなりますから、天界的修行の一環として、 いくばくかの望みを捨てさせることはしないでおこうと思います。
> 私は一生、あんな感じだと思いますよ。自分の都合のよいように話をねじ曲げ、 > 謝罪、謝罪って言ってるところなんかチョ〜癬人にそっくり。藁)
まあね。 チョン公の場合、日本人の価値観で言えば謝る必要もない状況さえ、 彼らの価値観では謝るべきである、という「観念の差」があり、 彼らはその「差」を考慮しないで要求ばかりしてくるからなあ。 だいたい我々の祖父ちゃん祖母ちゃんが彼らの祖父ちゃん祖母ちゃんにしたことを、 我々孫が、彼ら、つまり当事者の孫に謝って、何かすっきりするのかなあ? 戦時中どれだけ虐待、虐殺をしていようが、 別にそれらの行為ゆえに我々孫の代が生まれ得たわけでもないのにね。
ちなみに、チャンチャンがグダグダ言ってくる「南京大虐殺」については、 私は「おそらくあったんだろうけど、今更ガタガタぬかすな!」 というのが持論です。 「今からやるつもりもなければ、今やってるわけでもない。 南京大虐殺をしたから我々が生存しているわけでもない。」 というのが理由ですな。
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