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Message#2174 2005年12月25日(日)09時10分
From: 和井 恵
 
Re7:功徳の消耗・・・
あべるさんのメッセージ(#2171)への返事

>和井 恵さんのメッセージ(#2170)への返事

>汚れたデータが山ほど入っておられないっすかね〜? 何といっても歌舞伎町。

「汚れたデータ」ね…

一番それを持っているのは「私」かもしれない(笑)
でもね、「渋い柿」ほど、日に干すと「甘みのある干し柿」に変わるんですよ。

これは、まぁ「経験的見地」から言っているんですけど…

「データ」そのものには「浄」も「不浄」もありません。
単なる「情報」です。
その「情報」に「接触」したときに、
過去に受けた「強い印象の刷り込み」が反応して生起します。
この「反応の仕方」によって、「汚れて」見えたり「綺麗に」見えたりする。
全て「錯覚」です。

これは、単純に考えても、
「意識的な場合(過去の忌まわしい記憶を連想する)」→ 囚われ、嫌悪
「無意識的な場合(後催眠現象などで見られる暗示効果や、心の奥に潜んでいるトラウマ、潜在的な強い想いなどによる衝動的な力)」→ 渇愛(行動欲求)
「生理的な場合(条件反射など、習慣によって形成された、意思を介さないワンパターン反応)」→ 無知、誤作動
といった分類が出来るでしょう。

そしてまた、「データ」にも「観念的」なものと「体験的」なものがあります。

「真理の証智」の妨げになるのは、どちらかと言えば、「観念的なもの」の方なのです。
「実体」が無いだけに、似たような性質を持つ「理」に対して強い「反応(同化作用)」が生じやすい。
ただし、同じ「体験」でも、「瞑想体験(合一の瞑想)」だけは特殊なので、注意が必要です。
ある意味「観念的なものを体験する」場合があるので…

>>釈迦の二大弟子の「マハー・モッガラーナ」と「サーリープッタ」は、
>>釈迦の弟子になる前は、二人とも同じ、ある別の師について修行をしていました。
>オウムにはこういう宗教名の方はおられたのでしょうか? ウパティッサなんていう
>名前については置いといて・・・

いいえ、いませんでしたね。
そんな人がいたら、もっと違っていたのかな…

>>その師(サンジャヤ)が説いた教えとは
>>というものでした。別名「ウナギ説法」と呼ばれていたそうです(笑)
>
>それ物足りなくなって辞めたって普通には言われてるみたいですけど、複雑系の実社会、
> 正味のところはウナギ説法なんではないんっすか????

うーん、ちょっと違うように思いますね。
「ウナギ説法」の意味は、ヌルヌルと滑って、捕まえようとしても「つかみ所」がない、
つまり、非常に「解りにくい」教えだった、ということです。
人によっては、かなり評価が低いようですが、
あの「マハー・モッガラーナ」と「サーリープッタ」が弟子になっていたわけですから、
決して「ただの人(詭弁を弄する人)」ではなかったはずです。
後世の学者達の「理解の想定外」にいた人なのではないでしょうか。

物足りなくて辞めたと言うよりも、
二つを比較した場合、釈迦の説いた「教え」の方が、より魅力があったということでしょうね。

>>だからこそ、サーリプッタは、遊行中のアッサージと出合い、
>>釈迦の教えである「縁起の法」の「公式」を聞いただけで、
>>「これは素晴らしい教えだ!」と「直感」することが出来たのです。
>
>アッサージさんっていうのも素敵な人なんだ〜 ヌンチャク振り回してるだけではない
>んですね〜〜〜。

誰かと間違えていますね(笑)。


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