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Message#2288 2005年12月31日(土)11時42分 From: 和井 恵 | |
| さくらさんのメッセージ(#2280)への返事
> > 「理」は、相手を「納得(理解)」させるのには効果を発揮しますが、 > > 相手を「動かす(動機を与える)」のは「情動・情念」の方なのです。 > > さくらは、自分のこと感情よりも論理で行動しているんだと思ってました。数年前にそうじゃないってわかりました。 > 最近、感情で行動を選択しているのに、それを直視せずに、行動を正当化するために論理を使う人が結構いるなって思います。
その通り。 そして、それこそが「わかっちゃいるけど止められない」という「ジレンマ」の「原因」なのです。
以前にもお話ししたと思いますが、「後催眠」という現象があります。
相手を、「運動支配」「知覚支配」、そして「記憶支配」へと導いてゆき、 そこで、ある「暗示」を与えます。
例えば、 「この催眠から目が覚めると、とてもすがすがしい気持ちになっています。 でも、私が右手を軽く「パチン」と鳴らすと、どういう訳か窓の処に歩いてゆき、 窓を開けてしまいます。」
「知覚支配」の段階までは、被術者は、 「催眠状態を自覚して」いて、その時の「記憶」もはっきりと覚えています。 しかし、最も深い「記憶支配」に入ると、特別な暗示を与えて起こさない限り、 「催眠中」の記憶は忘れられてしまうのです。
そして、相手が「目覚めた後」、行動を起こす「サイン(指を鳴らす)」を与えると、 「暗示」通りの「行動」を起こしてしまう。 「理由」を聞いても、「新鮮な空気を吸いたかったから」だとか、 「外の方が騒がしいようだったので、覗いてみたくなった」という的はずれなモノばかり。 しかも、当人は「その理由」を信じて疑わない…
私たちが、自分の「行動」に付ける「理由」は、「後付け」の場合がとても多いのです。 そして、その奥にある「本当の理由」に気づいていない。
もう一つ、例を挙げましょう。 「サブリミナル効果」というものがあります。 映画の中に、ほんの「数コマ」の映像を差し込んでおく。 あるいは、「聞こえるかどうか判らないくらい、微かな音(声)」を相手に送る。 そうすると、それらの「刺激」の影響を受け、「特定された行動」を取ってしまう。
これなども、「知っていることに気づかない」という状態で起こるわけです。
以前のレスで、「念(サティ)」とは「気づくこと」だ、と私は言いました。
「気づく(自覚する)能力」を高めていく修行。
その大切さが、その意味合いが、少しは判って頂けたでしょうか?
> > いや、「行こうと思えば、行ける」はずですよ。 > > 人は、「見たいモノを見る」のですから… > > それが、「真」なのか「偽」なのかは別にして、ね。 > > どこかの世界に行くのは夢の中にしておいて、本質を追求したいと思います。
その「心構え」ができたのなら、 いよいよ「本題」の「真理とは何か?」という説明を始める「時期」が来たのでしょうね(笑) 今までは、つまり「地ならし(準備を整える)」の段階でした。
何度も言いますが、 釈迦の説いた「教え(真理)」とは、けっして難解なものではありません。
何故ならば、釈迦の教えを聞いた人たちは、
|教法は世尊によりて善く説かれた。 |すなわち、この教法は、現に証せられるもの、時を隔てずして果報あるもの、 |来り見よというべきもの、よく涅槃に導くもの、 |知者がそれぞれに自ら知るべきものである。
と言って、その教えを賞賛したからです。
つまりそれは、「この現実で証明できるもの」であり、 「すぐに結果が顕れるもの」であり、 「ここに来て見れば、すぐに解るもの」であり、 「苦の滅尽に役に立つもの」であり、 「賢い人なら、自分で検証が可能なもの」であったのですから。
それでは、いよいよ「次の段階」。 「真理」そのものの「説明」へと話しを進めることにしましょうね(笑)。
今後、3日くらいまでは、ある程度の時間を確保することができそうです。 それを利用して、説明をしていきたいと考えています。
まずは、「無明」とは何か? から始めましょう。
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