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Message#2579 2006年1月14日(土)22時52分 From: 和井 恵 | |
| (つづき)
「進化論」には、大きく分けて「二つの説」があるようです。 「漸近説」と「斉一説」…ちょっと字が違うかも。
「漸近説」とは、「獲得形質(個体で培われた特質)」が、 「遺伝」などによって「徐々に(段々と)」 「種の変化」という「大きな流れ(進化)」を促してゆく、という考え方。
もう一つの「斉一説」の方は、そうではなくて「ある日突然」、 一気に「激変(変動)」する時がある、という考え方。
そして、どうやら「斉一論」の方が正しいのではないか、 という「見方」が、識者の間では強くなっているようです。
…というのは、例えば「眼」というものを考えたときに、 仮に「A(単眼)」から「 B(複眼)」に変化(移行)するとして、 その「途中」の「眼」は、「機能として中途半端」なので、「役に立たない」から。 つまり、「途中の段階」では、「眼の役目」を果たし得ないだろう、というのです。
ということは、つまり「進化」という「現象」は、まるで「ハルマゲドン」のように、 「突然」私たちの目の前に「到来する(姿を現わす)」ようなのですね(笑)。
二十代の頃に読んだ本の中に「スーパー・ネイチャー」という題名の本がありました。 (ひょっとしたら、別の本かも知んない…その時は、ゴメンね。)
その中で、とても「面白い」記述がありました。 それは、「蛾(ガ)」と「蝙蝠(コウモリ)」との「熾烈な生存競争」のお話です。
「コウモリ」は、「ガ」を餌にするために、「超音波」を使って「探知」しようとする。 すると、いつの間にか「ガ」は、 「攪乱物質」のようなものを「撒き散らして」対抗をするようになる。 しかし、しばらくすると今度は「コウモリ」の方に、 さらに「その上」を行くような「バージョンアップされた機能」が出現する。 …そのような「イタチごっこ」が続いている、というのです。
しかし、よく考えてみると、これって「ヘン」だと思いませんか? 例えば、人間達の「兵器開発競争」のように、 「研究者」や「技術開発者」が「存在する」のなら、話しは解ります。 しかし、「コウモリ」や「ガ」に、それだけの「知能」があるでしょうか? もし仮に「有った」として、それを「実現」させる「方法(手段)」は?
…そう考えていくと、「想念(思い・願望)」の「蓄積(増大)」というのが、 一つの重要な「キーワード」になるように思えるのです。
「想念・思念」これは、つまりは「創造エネルギー」なのです。 この「エネルギー」に「呼応」して、「現象」が動く。 そういう「仕組み(システム)」を、この「自然界」は持っている、 という「推論」が成り立つ。
これが、私が今まで何度か言って来た「マハー・ムドラー」の考え方の原理です。
そして、私は「一元論者」ですから(笑)、 当然、「色(物質)」も「心(想念)」も 決して「別のモノではない(不二)」と考えています。 それらは「一体(繋がっている)」なのです。
どのような「念(想念・思念)」を持ち続けるのが「ベスト」なのか? 「自利」だけでもなく、「利他」だけでもない「自利=利他」の思念。 それらを、「育て」「育む」努力を怠らない。
「二正勤二正断」の訓練法には、このような「原理」が隠されているのだ、 と、私は考えているのです。
私たちが、「どのような想念」を、毎日「積み重ねて」いくのか? その「結果」が、「ある特定の時期」に現れる。
それが、もし「地球規模」の「時期」と「重なった」としたら…
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