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Message#2930 2006年2月7日(火)08時44分 From: 和井 恵 | |
| あべるさんのメッセージ(#2891)への返事
>> 子供の「育児」「教育」という点に関しては、 >> 私は「個人」ではなくて「グループ」もしくは「国家」が、 >> その「育成」の責任を取る「体制」を造っていくのが良い、と考えています。 >> もちろん、妙な「思想統制」は「無し」でです。 > >その場合の教育の方針と言うか基本理念はどういうことになるのでしょうか。 >どうしても思想統制、没個性、画一化、ロボット化といったマイナスイメージが浮かんでしまいます。
アベルさんは、「幼児教育」について勉強されたことがお有りでしょうか? 私は、長男が生まれる頃に「独学」で色々と調べた時期があります。 その結果、次のような考えを、私は持つようになりました。
幼児にとって、大切なモノが少なくとも「二つ」あると私は考えています。 まず一つは「スキンシップ」等による「心の安定感(安心感)」の確立。 もう一つは「個我(アイデンテティ)」を「認めてあげる」ということ。
関東大震災の時に、外国からある「調査団」が訪れた時、 その「事後の状況」を観て「彼ら」が驚いたことがあった、と言うのです。 それは、日本の子供達が「驚くほど落ち着いていた」ということなのだそうです。 今で言うような「災害後のトラウマ(心の不安定感)」というものが、 当時の子供達には、ほとんど観られなかったらしいのですね。
その理由を探るために、色々と「研究」をした結果、 当時、日本で「日常的」に行われていた「幼児をオンブする」という「風習」が、 子供の「心の安定」にとても大きな「役割」を果たしているようだ、 という結論に達したのだそうです。
つまり、幼少期において、絶えず「親との充分なスキンシップ」を取ることが出来た子供は、 その「経験(安らぎ・安心感)」を土台として「心の安定」を確立することが出来る、と言うのです。
それを知ってから、私は必ず長男と「添い寝」をするようになりました。 (アメリカにホームスティをした経験のある「私の結婚相手」は、それを嫌がりましたが…) 生まれて間もなくの頃は、まるで「ラッコの親子」ように、 私の「お腹の上に」長男を「腹這い」にして寝かせていましたね(笑)。 彼は、とても気持ちよさそうに、寝息を立てていました。 そのせいか、私の「成就記事」の中にも少し書きましたが、とても「自立」するのが早かった。 普通なら、親が近くにいないと「後追い」をして「泣いたり」する時期に、彼は「平気」でしたから…
ですから私は、「スキンシップ」等による「心の安定感(安心感)」の確立を、 まず第一に重要だと考えるのです。
そして、二つ目が「個我(アイデンテティ)」を「認めてあげる」ということ。 それは、「自と他の区別」をしっかりと「させてあげる」ということなのです。
これは、一見すると「真理」とは「逆」のことをしているかのように見えます。 しかしこれは、「経験してから離れる」というステップを踏むためには「必要なこと」なのです。 例えば、子供に「クマのぬいぐるみ」を買ってあげたとした場合、 そして、その時に、兄弟や、あるいは友達が「それを見て貸して欲しい」とその子に要求したとする。 そんな時、多くの親は「貸してあげなさい!」と「命令」してしまう。 しかしそれは「間違い」なのです。
あくまでも「ぬいぐるみ」の「所有者」である「子供の判断」を「尊重する」べきなのですね。 仮に、「子供が貸すのを嫌がった」ら、それは「認めてあげなければ」いけない。 当然、そういう「行為」を続けていけば、その子は、 今度は「自分」が「他の人のモノ」を貸して欲しいと思ったときに、 相手から「しっぺ返し」をくらうことになる(笑)。 そういう「経験」を繰り返していくうちに「ギブ・アンド・テイク」の考え方も育っていく。
大人になっても「所有欲」に「拘(こだわ)る」のは、 小さい頃に「所有する」という「経験」を「しっかりと積んでいない」ために起こることが多いのです。
「自と他の区別」や「自己の所有」という「問題」を「超える」ためには、 その前にまず、幼い頃に「その経験」を「充分にさせてあげる」必要があるのです。
これらの「ステップ(段階的な成長)」が解らない人は、 単純(盲目的)に「真理(理想)」を子供に「押しつけて」しまう。 しかし、その時「真理」は「毒(誤用)」になってしまうのです。
「真理」を「理解」せずに、ただ「暗記」しかしていない人に、こういうタイプが多い。
>まあ現在のように、自由放任でケダモノみたいな若者が大量生産されるよりはまだましかもしれませんが、 >この場合の教育理念としてはやはり、父母に孝に兄弟(けいてい)に友に夫婦相和し >朋友相信じキョウケン己を持し博愛衆に及ぼし学を修め業を習いもって知能を啓発し >特器を成就し進んで公益を広め世務をひらき常に国憲を重んじ国法に従い >一旦緩急あれば義勇公に奉じ・・・・というところなんでしょうね。
「理屈」の上からはそうなりますが、例えば「親」が「子供」から「敬われる」ためには、 「敬われるような資質」を「親が身に付けていなければならない」わけです(笑)。 それが無いと、いくら口で言っても、子供は「相手にしない」でしょうね。
子供は、成長してくると、まず「これはなあに?」「あれはなあに?」と質問を始めます。 そして、その次には「どうしてそうなるの?」「何故そうしなければいけないの?」 という「理由」「原因」を知りたがります。 この時に、子供が納得できるような、しっかりとした「受け答え」ができないと、 「子供の心の成長」を大きく「阻害」することになるのです。 そして、多くの親たちが、この段階で「失敗」している。
>> 今の「大人自体が子供」の親たちに、「まともの育児」を期待する方が「無理」。 >> かといって「現状」では、もちろん「育成を担う」ような「機関」は存在していませんが、 > >国家的にやることになったら、まさにナチスあたりの理想としたところなんでしょうね。 >お〜こわ。
私の今までの「説明」で、それとはかなり「イメージ」が違うことが解るのでは?
>> 学校なども、外国によくあるような「寄宿制度」の完備した「学校」を増やしていく。 > >イジメなどがありませんように。
「イジメ」が有ってもいいのです。 そういう「経験」が有った上で、それを「乗り越えていく力」を育てていく。 例えば「一人っ子」ならば「兄弟喧嘩」も満足に「経験」できないでしょ? 「経験」が無いから「対処法」も身に付いておらず、 「社会の荒波」を乗り越えることも出来ない「軟弱な子供」になってしまうのです。
>> 「子育て」を「個人」に任せておく時代では無くなりつつあるように感じられます。 >> 「生みの親」と「育ての親」。これを「両立」させる時代が必要なのでは? > >確かに一つの貴重な提言でしょうね。 >少子化の時代、国家的に何か考えないといけないと思いますが、
「神との対話」という本を読むと、 「成長した社会」では、そのようなことが「可能になる」らしいですね。
>やはり素直に考えると、多産多死で老人に対しては過剰な医療や延命はなしで、 >適切なところで人間辞めてもらうと。
これから「必要」とされるのは「予防医学」でしょうね。 「植物人間状態」での「強引な延命」では、「意味」がない。
>勿論アベルが真っ先にお山に逝かせて頂いて結構、 >今の老人飼い殺し状態とか、ことに「介護ビジネス」なんて語を耳にすると寒気がします。
ですから「ヨーガの修行」なども、 「老化対策の予防医学」的な観点からの「アプローチ」がなされてもいい。 実際アメリカなどでは、そのような「流れ」も起きつつあるようですし…
>一寸ずれましたが、多産多死で自然淘汰としないと国家は間違いなく衰亡しまんな。
「智慧」ある「社会」こそが、それを乗り越える「唯一の道」だと思います。
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