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Message#3157 2006年3月12日(日)12時30分 From: 和井 恵 | |
| ●「大乗仏教」の説く「カルマの法則」
大乗仏教では「業」の働きを四つに分類しています。
※ここで「大乗仏教」という言葉を使ったのは、この「考え方」が釈迦の 死後数百年経ってから登場したモノだからです。
「因縁」という言葉がありますが、実はこれは「業」を表した言葉なのです。 「因・縁・果・報」これらは正式には「業因・業縁・業果・業報」と言い、 「業」の働きを「時系列的」に「分類」した内容なのです。 「因」とは、直接的な「原因」を表し、「種子」に喩えることができます。 「縁」は「因(潜在的な形成力)」が成長するための「条件(環境)」である と考えられました。つまり、「種子」が成長するための「肥えた土壌」や、 「降り注ぐ雨水」、「温暖な気候」といった「諸条件(補助的な条件)」のこ となのです。 「果」は「因と縁」が上手く働くことによって生じる「結果」を表し、「種子」 が成長して「果実」を実らせた状態に喩えられています。 「報」は「果」がもたらす「未来への影響力」を表し、「果実」の中に内包さ れる「種子」に喩えることができるのです。
ここで「重要」な要点(ポイント)は、その人が「リンゴ」を食べたいと思ったら 「リンゴ」の「種子」を蒔かなければいけない、ということです。 「蒔かぬ種は生えない」、つまり「為したことしか返っては来ない」からこそ、 「択法覚支(正しい選択)」という「修行」が必要となってくるのです。 「リンゴの種子」からは、いくら「条件」を変えてみたところで「梨の果実」は 生じません。「リンゴ」が生じるか、まだ生じないか、あるいは生じるにしても 「早いか遅いか」という「違い(時間のズレ)」が現れてくるだけなのです。
ところが、オウムの説く「カルマの法則」では、「条件」によって「結果」が クルクルと「変化して」しまいます。つまり、その「行為」を為したときの 「自分」と「相手」の「心の働き(あり方・状態)」の「違い」によって、幾 通りもの「異なった結果」が生じるという「教え」になっているのです。 そして、この考え方を突き進めていくと、「ヴァジラヤーナの教義」に到達す るのです。
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