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Message#3198 2006年3月19日(日)14時48分 From: 和井 恵 | |
| 夢野さんのメッセージ(#3194)への返事
> 確かに旧Aのカルマ論は幼稚でしたねー。
そうですね(笑)。 ですが、それでも「役に立っている(有用)」のなら、そのままでもいいのかな…と 私は考えていたのですが、数年前にイン仏板で「納豆さん」の投稿を読んでからは、 こののま放っておいてはいけないのではないか、と考えるようになりました。
彼(?)の場合は、「カルマの法則」の「考え方」が「強迫観念」のようにマイナス に働いて、彼を苦しめ続けているように思えたからです。 「オウムの法則」に従えば、「苦しみ」を「カルマ落とし」だと「喜ぶ」ことによって 「プラス思考」に「転換」できるはずが、彼は逆に、「苦しみ」を感じれば感じるほど、 「過去(世)に為した自己の悪業」の大きさ(重さ)を強く「実感してしまう」という まったく逆の「悪循環」に陥っているように思えたのです。そして、自己の「罪深さ」に 怯えて、それがさらなる「苦しみ」を造りだしてしまっている…
そして、2ちゃんなどで時々登場する「為したことしか返ってこない」という「法則」を 「誤用(悪用)」したレスを見るにつけ、やはり「この考え方」は一度「消去(デリート)」 する必要があると判断したのです。
> 苦の総量が一定だというのは、「虹の階梯」でも読んだことがあります。 > これはきっと、短期的にそうなのでしょう。
私には、その部分の「記憶」が「欠落」しているのですが、それは決して年齢による「ボケ」 などではなくて(笑)、単純に「気に留めていなかった(問題ではない)」だけだと思いたい ですね。しかし、「短期的にそうなのだ」としたら「一定」などという表現自体がヘンですよね。
> ぼくは反射業・投影業のメカニズムがいずれも識別と関係すると思いますが、 > たとえば悪夢をみて浄化されたら。苦の総量は減るなと。
私も「カルマの法則」は、「心の働き」が「主役」であると考えています。 「行為」そのものは、心の働きの「表現」にしか過ぎません。 「色心不二(心と体は別々ではない)」。だとすれば、「心のカルマ」と「身体のカルマ」と「分け て考える」ことはナンセンスなのではないでしょうか。
> 夢は自己を反転(客体化)させる性質を持ち、カルマ則の考察 > に大きなヒントをくれる。時間の余裕ができればどこぞで書くの > ですが――宇宙の実相が鏡だというのは、美しいかもしれません
夢野さんの「カルマ則の考察」を、私も是非読んでみたいですね。
私は、宇宙の実相は「自己表現(自己実現)」なのだと考えています。 もちろんこの場合の「自己」とは、「二元的な個我」のことではありませんが… そして、自己(主体)はただそれだけでは「自己を認識する」ことは出来ませんから、 一時的な客体を創り出す。それを「鏡(認識をするためのツール)」として捉えることも 出来るでしょうし、「夢(幻影、実体が無く絶えず変化するモノ)」として捉えることも 可能なのだと思います。
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