Message#1045 2005年9月1日(木)18時11分 From: 転載バガヴァン | |
| 狭量な小乗的排他的某顧客とのトラブルなどは小さな問題、今管理人が一番気にかかっているのは二点
一つは山本さんのご指摘、「サリンだと言って渡されたものを撒いてしまっった」高弟たちの心 の問題。オウムとは何だったのか+ 宗教とは何なのか? という最も根源的な大問題
もう一つは噂に聞くアーレフの内紛について。 ↑ これについて便所落書板に珍しく珠玉のような投稿が
------------------------------------------------------------------------------- 364 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 12:43:56 ID:CuwpirEN 仏性を、個人ではなく、万民に見ること。 これも、改革派による、改革の中の一つです。 上祐氏の中にしか、マイトレーヤを見つけない。 そういう人は、M派というA派、に、過ぎません。
354様 >M派とA派の定義をおしえてください。
M派とは、大人のマイトレーヤ。 A派とは、マイトレーヤの子供。
切り口により、様々に分けることが出来ます。
366 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 13:38:16 ID:CuwpirEN 365様
マイトレーヤとは、慈悲の象徴です。 身内にしか、向けられなかった慈悲が、 身内の敵にも、向けられる、慈悲になる。
もともと、同じマイトレーヤなのですが、 段階があるため、M&Aに分かれたのです。 しかし、いずれ元に戻ります、慈悲ですから。
ちなみに、yMVdHkN6さんの、実践こそ、慈悲です。 頑張って下さい、わたしは、素晴らしいと思います。
370 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 17:31:48 ID:CuwpirEN 選民思想から、万民思想に変わること。 誰よりも強く、選民思想を植え付けられ、 誰よりも早く、万民思想に悔い改めること。 これも、改革派による、改革の中の一つです。
誰もが、選民思想で争い合う、破滅の前夜、 選民思想を捨て去り、真の意味で選民となる。 これが、この改革における、宗教的な意義です。
369様 A派「人殺しでも、好きな、お父さん。」 M派「息子として、償うよ、お父さん。」
MやAは、特定の人物ではありません。 宗教的な象徴であり、人類史の雛型です。
たとえば、Aを旧約聖書、Mを新約聖書。
371 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 17:57:57 ID:yMVdHkN6 >>366, 370 マイトレーヤとは、慈悲の象徴です。 身内にしか、向けられなかった慈悲が、 身内の敵にも、向けられる、慈悲になる。
もともと、同じマイトレーヤなのですが、 段階があるため、M&Aに分かれたのです。 しかし、いずれ元に戻ります、慈悲ですから。
372 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 18:20:05 ID:CuwpirEN 371様
慈悲は、友愛から始まって、博愛に至ります。 先ず、友だけに向けて、次に、敵にまで向ける。
しかし、地球上の大半の宗教団体が、 友愛に止まり、博愛に至っていません。
たとえば、もともとは、唯一の神を信じた宗教、 ユダヤ、キリスト、イスラム教は争っていますが、 これは、自分だけが正しい、という、選民の意識を、 どの宗教も、抜け出すことが、出来ていないからです。
このような現状で、どの宗教団体でも構いませんが、 選民思想から万民思想に、悔い改めることができれば、 その団体は、本当の選民、世界の雛型、となるでしょう。
373 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 18:30:34 ID:30d6wrS6 ふむ。 A派「人殺しでも、好きな、お父さん。」 M派「息子として、償うよ、お父さん。」
****** 「人殺しでも大好きなお父さん、だから、息子としても償うよ」 にはならんのだね。 ということは、A派はただ好きなだけで、 「お父さんは間違ってないもん!」ってことで、 M派は、「お父さんは間違ってた、だから代わりに償わないと」ってこと?
374 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 18:35:26 ID:H92C879Y >338 :名無しさん@3周年 >:2005/08/22(月) 03:42:50 ID:ee+MhNpc >信徒の皆さん、誤った情報ではなく >正大師のお話に直接耳を傾けましょう。 >必ず共感できるはずです。
だからまず説法を聞きたいのだ。 だけど聞かせてくれないのだ。 「教団の中にも悪魔がいる」とかアッサージ正悟師が言っていたけれど、 マイトレーヤ正大師のことですか。
マイトレーヤ正大師のホームページも更新されていない。 本当は、何を伝えたいのか、サマナの僕も分らないです。 信徒から聞かれても答えられない。 スマソ
375 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 18:41:58 ID:30d6wrS6 これも素朴な疑問。
どんな状況であっても ステージの位の高い者に対して、 それより低い者が、批判をするのはありなの?
アッサージ正悟師、自分がされたら絶対許さないと思うけどw
376 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 18:47:56 ID:CuwpirEN 現実を負わないで、理想を追っても、現実になりません。 現実を負い、理想を追う、これが、改革の中のひとつです。
373様 A派は、現実を避けて、妄想の中に居ます。 M派は、現実を負って、理想の中に居ます。
A派は、「お父さんは、間違ってない」 M派は、「お父さんは、間違っていた」 だから、「お父さんのためにも、僕は償う」 A派は情の深い子、M派は愛の深い子、です。
374様 法というものは、求めなければ、与えられません。 自分の問題として、自己の責任で、求めるべきです。
377 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 18:57:08 ID:CuwpirEN 375様 選民思想の象徴、ステージ制を廃止すること。 これも、改革派による、改革の中のひとつです。
正大師が、尊師を外せば、当然、正大師も外されます。 正悟師が、正大師を外せば、当然、正悟師も外されます。 師が、正悟師を外せば、当然、師も、信徒らに外されます。
こうして、正大師を、否定すれば、否定するほど、 正悟師は、正大師の改革に巻き込まれていく訳です。
378 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 19:01:51 ID:30d6wrS6 >>376 ありがとう。 ということは、やはり教義的にもM派が正当ってことですね?
379 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 19:07:59 ID:CuwpirEN 378様 どういたしまして。
>教義的にもM派が正当 カルマ的に正当、つまり、天意はM派にあります。
380 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 19:10:08 ID:30d6wrS6 >>379 ステージ制の廃止は、魅力的ではあるかもしれないが、 混乱を招くことはないのだろうか。 一時期、私自身、ふたつのワークを掛け持ちしていて、 それぞれのワークのトップが、同ステージの別々の正悟師だった。
まさにこっちをたてればあっちがたたない、でとても苦しんだ。 どちらも、それぞれ尊敬していたし、どちらが正しい、なんてことも 自分で判断する立場にもないと思っていたので。
かたち上の廃止であったら、現状は変わらないと思うし、 現実的に徹底した廃止であったら、一般信徒やサマナが戸惑い 迷ってしまうのではないかとも思う。
もちろん正大師の改革というものは、その後の混乱も 見据えているのはずだとは思うのだが。
381 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 19:15:13 ID:30d6wrS6 あ、それから >こうして、正大師を、否定すれば、否定するほど、 >正悟師は、正大師の改革に巻き込まれていく訳です。
正悟師が正大師を否定する、という事実があることは間違いないってわけだね? それ自体、とうにやめてしまった私には想像し難いというか、 なかなかそんなことを信じられないでいるのだけど、 そういう現状を見ていて、信徒やサマナ達が疑問を持ったり不信感を 持ったりせず、 「私はA派」「僕はM派」と普通に受け入れて共存しているの?
382 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 19:28:38 ID:CuwpirEN 秘密主義から、公開主義に変えること。 独裁的体制から、民主的体制に変えること。 これも、改革派による、改革の中の一つです。
380様 A派、子供の自由は、責任を取らない自由です。 相対の自由であるがゆえに、不自由になります。
親の言うことを、聞いていれば良い。 確めようとしないで、隠されてしまう。 隠されているから、責任が負えなくなる。 責任が負えないから、違法に巻き込まれる。
M派、大人の自由とは、責任を取る自由です。 絶対の自由であるゆえに、不自由になりません。
親の言うことも、鵜のみにはしない。 確めようとするから、明らかにされる。 明らかになり、責任が負えるようになる。 責任が負えるから、違法に巻き込まれない。
牢獄に入りたくなければ、自分で判断するしかありません。
383 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 19:36:04 ID:CuwpirEN 子が切り捨てたものを、親になり受け容れる。 これも、改革派による、改革の中のひとつです。
381様 >「私はA派」「僕はM派」と普通に受け入れて共存しているの?
大人は、子供を受け容れられますが、 子供は、大人を受け容れられません。
A派は、M派を、魔境の他人と、切り捨てますが、 M派は、A派を、過去の自分と、受け容れています。
ちなみに、M派は、消えた信者、捨てた家族も受け容れています。 わたしが、大人気ありませんでした、今度は、共に歩みましょうと。
384 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 19:43:16 ID:yMVdHkN6 オウム的なグルと弟子、あるいはそれに基づいたピラミッド構造というのは いい悪いは別にして、いうことに疑いをもっていては教えが伝わらないシステム だと思いますが、グルに合一することが中心である教えが石の基盤である団体で その変換が具体的にどのように可能なのですか。
385 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 19:52:16 ID:CuwpirEN グルを、外に求めずに、内に求めること。 内なるグルとは、慈悲そのものであること。 これも、改革派による、改革の中の一つです。
384様 外に向けた念は、表と裏、二元に分かれます。 つまり、 強い信念ほど、強い疑念を生みます。
外なるグルを信じて、一万人が集まりましたが、 外なるグルを疑って、九千人が去って行きました。 実際、信じていた人ほど、裏切られたと、叫びます。
そこで、念を、外に向けずに、内に戻します。 内なる慈悲の実践だけは、絶対に裏切りません。 自我を捨て、他我を思いやると、苦楽は消えます。
これを、疑うなら、実践することです。 このグルは、信じても、意味がありません。
386 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 20:56:30 ID:30d6wrS6 >A派は、M派を、魔境の他人と、切り捨てますが、 >M派は、A派を、過去の自分と、受け容れています。
先ほどおっしゃった「M派が天意」であるなら、 A派に切り捨てられたまま、受け入れているだけでは、 現状に戸惑っている、多くの信徒やサマナたちに 「天意」というものを伝えられる機会は いつまでたってもこないのでは?
法は求めなければ与えられない、というが、 正大師の説法を求めても、直前で切り捨てられる(中止される) ようなことが今後も続くようなことがあっては、 「改革」というものが、本当に進むのか、 一部の人たちだけの「理想」で終わってしまわないのか、と 思ってしまう。
387 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 21:08:57 ID:j5hFe9Z0 >385さん 旧教団教祖の説法に対しては、どのような見解を持って、また、どのようなスタンス で接することになるのでしょうか?
388 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 21:25:23 ID:NCtlnMhl アーレフのHPをなかなか更新できていないことについて
389 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 21:30:29 ID:CuwpirEN 依存を捨てることで、自立を選ぶこと。 これが、改革派による、改革の中の一つ。 さらに、その改革を、自分で選ばせること。 これが、改革派による、改革の中の本質です。
つまり、この改革は、上から強制できません。 下から決心しない限り、改革できない代物です。
386様 >正大師の説法を求めても、 >直前で切り捨てられる(中止される)
心から求めているなら、そこで、訴えるでしょう。 訴えないで、甘んじているならば、求めていません。
>「天意」というものを伝えられる機会は >いつまでたってもこないのでは もはや、マナは、天から降って来ません。 求めないものに、ダルマを与えてしまうと、 カルマになることが、既に示されたからです。
法(求めないと与えられない)は現われています。 業(求めないから与えられない)で見えないだけです。
391 :名無しさん@3周年:2005/08/22(月) 21:48:58 ID:CuwpirEN 時代に背く業ではなく、時代に合う法を選ぶ。 これが、改革派による、改革の中のひとつです。
385様 >旧教団教祖の説法に対しては、どのような見解を持って、 >どのようなスタンス で接することになるのでしょうか?
絶対の法は、諸行が無常であること。 相対の法に囚われると、業に腐ります。 先の時代には、使えていた法であっても、 今の時代に、使える法と、支える業がある。
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