Message#2170 2005年12月25日(日)02時53分 From: 和井 恵 | |
| 聖者ぼんちリンポチェさんのメッセージ(#2166)への返事
> 和井 恵さんのメッセージ(#2165)への返事 > > ちょっと確認ですけど、 > > > そして、「修行者」には、「前世での経歴(!)」によって、 > > 「成就しやすい者」「ややしにくい者」「かなり難しい者」 > > 「無理っぽい者」「絶対無理な者」という、 > > 「五性各別論(修行者の資質へのカースト的な考え方)」が生まれました(笑)。 > > これってあくまで、「今生のみ」「今生では」の話ですよね? > つまり、「データの量」とか、「修習した年月により」とかいう概念さえ導入すれば、 > 少なくともその枠内では矛盾や問題は生じない仮説であると。
いいえ、私は「逆の見解」を、むしろ持っているかも…
> 「データの量」とか、「修習した年月により」
「教養」が「邪魔をする」という言葉があるけど、 余計なデータが多すぎると、逆に「それを修正する」手間の方に時間がかかり、 「真理」の本質を「理解する」のに、むしろ「時間がかかる」可能性もある(笑)。
禅宗で、 師匠が弟子に対して「水が目一杯入っているコップ」を見せて、 「これに新しい水を注ぐことが出るか?」と問う。 弟子「出来ません」 師匠、コップの水を外に捨てて、 「これならどうじゃ!!」 そこで弟子は、はっと「悟った」というお話(笑)。
私はむしろ、「杏奈ちゃん」のような、 「あまりデータに染まっていない人」の方が、 「真理を悟る」のは早いのかもしれないな、と考えています(笑)。
釈迦の二大弟子の「マハー・モッガラーナ」と「サーリープッタ」は、 釈迦の弟子になる前は、二人とも同じ、ある別の師について修行をしていました。
その師(サンジャヤ)が説いた教えとは 「私はそれが有るとは言わない。また、無いとも言わない。 そしてまた、有りかつ無いとも言わないし、有るのでもなく無いのでもないとも言わない」 というものでした。別名「ウナギ説法」と呼ばれていたそうです(笑)
つまり、「何かを信じること」や「信じないこと」を徹底的に否定する教えだったのですね。 つまり、「観念(およびデータ)の崩壊(デリート)」です。 その中には当然、「輪廻」や「真我」の思想も含まれていたはずです。
つまり、彼らは「白紙(プレーン)」に近い「状態」を、 それまでの「修行」で造りあげていたのですね(笑)。
だからこそ、サーリプッタは、遊行中のアッサージと出合い、 釈迦の教えである「縁起の法」の「公式」を聞いただけで、 「これは素晴らしい教えだ!」と「直感」することが出来たのです。 そして、「成就」するのも、勿論早かったに違い有りません。
「逆転の発想」ですかね…
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