Message#3069 2006年2月24日(金)21時24分 From: 和井 恵 | |
| 日本には、「言霊信仰」と呼ばれるモノがあります。 これは、「言葉」が「現象(事態)」を生み出す「力」を持っている、と考える「思想」なのですが、 古代インドにおいて、これと似たような「思想」を当時の人々が持っていたことをご存じでしょうか?
アーリヤ民族がインドに持ち込んだ宗教において、「ヴェーダ聖典の言葉」は「ブラフマン」と呼ばれます。
※「ブラフマン」とは、「拡大する」「膨張する」を原義とする動詞語根「ブリフ(bRh-)」からの派生語で、 拡大するもの、膨張するもの、あるいはその「拡大・膨張の源となる力」を意味します。
当時のインドでは、「ブラフマン」と呼ばれた「ヴェーダの言葉」は、 拡大し、膨張して、「世界をその言葉通りに創る力」を持っていると考えられました。 つまりそれは、「絶対に裏切ることがなく」「必ずその言葉通りの事態を含む世界を創りだす」のです。
そして、「このような力」は、別名、「サティヤ(satya)」とも呼ばれていました。 「サティヤ」は「真実(真理)」と訳すことが出来ますが、 より正確には、「いかなる大願をも成就する力を持つモノ」のことなのです。
大乗仏教の「修行法」は、この「サティヤ」の「力」によって「成就」を目指す修行なのです。 具体的には「自らが立てた誓いや約束の『言葉』に違うような事を決してしない」ということ。 ですから、「布施をする」と決めたら「布施をし続ける」。 「持戒を守る」と決めたら「守り続ける」。 「耐える」と決めたら「耐え続ける」。 それらを「守り続けること(極限の実行)」によって「サティヤ」の「力」が「発現する」。
大乗の「菩薩」が「誓願」を立てて、それを「守り抜く」という「修行」をするのも、同じ「原理」によるものです。 そして、「大乗の菩薩」が、「行い続ける」「守り続ける」ということを「テーマ」とした、 数多くの「輪廻転生譚」が創作され、インドの大衆に流布されて行きました。
結果として、「釈迦の修行法」は抹殺され、似て非なる「大乗の修行」が主流となっていったのです。
ところで、この「「サティヤ」というのは、何だか私たちが使っている「功徳」という言葉に似ていると思いませんか?
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